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ダイアナ-ウィン-ジョーンズ論⑩
Ⅳ.物語ること、時間~WHERE NOW~
後編
【では、他のジョーンズ作品では、プロットや時間操作がどう描かれているのでしょう。ちょっとややこしくなっちゃってるので心して読んで!
こちらは『七人の魔法使い』と『ヘックスウッド』のネタバレがほんのり含まれますのでご注意ください】
4.その他ジョーンズ作品の物語時間
例えば、ジョーンズによって『九年目の魔法』とほぼ同時期に書かれた『七人の魔法使い』(Archer’s Goon)を挙げてみよう。
この作品では、読者は本を読み進むうちに主人公に初めて起こったと思われる出来事が、実は同じ出来事の三回目の繰り返しであることに気が付く。『七人の魔法使い』では、物語が始まった時点で、主人公の幼児期から十二歳までの時間は既に二度繰り返されているのだ。
『九年目の魔法』ではただの回想に過ぎなかった主人公の過去の追体験は、こちらでは現実に起こっていることとして描かれる。そしてこの主人公は前の人生の記憶をほとんど持っていないので、やはりこの時間も直線とは言いがたいものだ。
また1993年になって書かれた『魔空の森ヘックスウッド』(Hexwood)では、それよりも一段上手の錯綜した時間が描かれる。
ここではヘックスウッドという森の中で、時間が逆行したり、さらには一気に数年が過ぎ去ってしまったりといったことが読者への説明無しに頻繁に起こる。しかも登場人物たちのアイデンティティーも無茶苦茶なもので、冒頭と結末ではその主人公でさえ、自分が最初に思っていたものと全く別の存在だったことに気が付いてしまう。
ここに書いているだけで混乱してくるような、とても一度読んだだけでは完全に物語内容を再構築できない作品なのである。
こういった作品をみると、ジョーンズは物語言説を巧みに組み立て、複雑にしようとし、さらにはそれを、破壊する寸前のところまで持っていっているようにさえ思える。
では、なぜジョーンズは、仮にも児童文学である作品でこういった複雑なことするのだろう。
5.過去・今・未来の不確かさ
ここで、その結論を出すために『九年目の魔法』に話を戻そう。
この作品の中には四重奏団(Four Quartet)が登場する。このデュマ四重奏団と名付けられた楽団は、リンさんと、そのリンさんが所属していた交響楽団から独立した四人の仲間で作られたものだ。そしてこれは、T. S. Eliotの詩、“Four Quartets”から影響を受け、取り入れられたものである。ジョーンズによれば、『九年目の魔法』はこの “Four Quartets”から「章を音楽の楽譜のように分けるというモチーフ」と共に、その「空気感と、物語のテーマ」を引用している。
そしてそのテーマの一つは「時間と永遠(time and timelessness)」だというのだ。
Time present and time past
Are both perhaps present in time future,
And time future contained in time past.
[・・・・・・・・・・・]
What might have been and what has been
Point to one end, which is always present.
(Ⅰ.1-3、9-10)
今と過去
たぶん両方とも未来の中に存在し
未来は過去を含んでいる
[・・・・・・・・・・]
そうだったかも知れないことと そうであったことは ひとつのおわりを指していて それはいつでも今である
What we call the beginning is often the end And to make an end is to make a beginning
The end is where we start from (Ⅴ.1-3)
私たちが始まりと呼んでいるものは終わりである
終わりをつくることは始まりをつくることで
終わりは始まりの初めである
Martha P. Hixtonはこの“Four Quartets”の詩の以上の部分を使ってこう述べる。
らせん状になった過去、今、未来をもつ『九年目の魔法』の語りの構造は、この考えと共鳴している
…(中略)…
“Four Quartets”の示す<物事は変えられないものではなく、過去は、今や未来によってつくりかえられている>というテーマの一つは、『九年目の魔法』にも注がれている(拙訳)
Narrative Dimensions and Their Interplay in Fire and Hemlock’, Teya Rosenberg(編)
“Diana Wynne Jones: An Exciting and Exacting Wisdom(Studies in Children 's Literature, 1)”,
Peter Lang Pub Inc 、2002、p.101
たしかにこの作品では、自分の過去を知りなおすことによってポーリィは大きく未来を変えることができる。これは『トムは真夜中の庭で』のトムが大家のおばあさんと仲良くなったことと比べると、大変に大きな変化である。
Martha P. Hixtonは、時間が「らせん(スパイラル)状」になっていると述べるが、私たちもこの作品を読むことで、“時間の構造は必ずしも私たちが普段感じているような直線的なものではない”と感じることができるのだ。
例えば私は、この『九年目の魔法』の時間構造は、むしろ二重らせんに近いのではないかと考えている。というのも、ポーリィは、十歳から十五歳の間の<本当の過去>と<改ざんされた過去(図の白い部分)>という二つの<過去>持ち、<リンさん剥奪に失敗した未来>と<リンさんを助けた本当の未来>という二つの<可能性の未来>を持っている、そして、その交差点として十九歳の<回想している今>を持ち合わせているからだ。
さらにこの考え方によれば、主人公が三度の人生を生きている『七人の魔法使い』では、これが三重らせんであるとも考えられるのだ。
これはとてもややこしい時間の構造ではある。しかしこういった交差するらせん状の時間構造はジョーンズの他の作品にも見られ、先に挙げた多元世界を使った物語は、この、交差し枝分かれする、多重のらせんで出来上がっていると言っても良いものだ。
ジョーンズはわざと過剰なほど複雑な時間構造を表すことで「物語時間」という考え方自体のあやふやさを示し、それ自体に疑問を投げかけようとしていると言える。
時間の概念は子どもにも大人にも共通するものであり、それは「児童文学」という枠には収まりきるものではないのだろう。
【頑張ってるけどなかなかまとまってないですね私…!最近テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を読んだところだったので、これを読み返していてまさに同じような概念の話しでドキッとしました…。みんな繋がってる!!
最近はファンタジーよりSF作品の方をよく読むので、こういう時間の捉え方はすごくSF寄りだなと思ったりします。ヴォネガットの『スローターハウス5』や、一昨年アカデミー賞を取った『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』なんかも同じ考え方ですよね。
…そして!次回いよいよ最終回!】