千年遡ると源平藤橘(げんぺいとうきつ)に当たるというが、それならすべての人が天皇家に近い血筋?ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」㉕
スタンリー・キューブリック監督の名作「2001年宇宙の旅」では、人類の祖先が知性に目覚めるシーンから始まります※1。私たちの祖先がモノリスの恩恵にあずかっているかどうかはさておき、そのような人類発生から連綿と続いた末裔が私たちであることは間違いありません。面識のある無しに関わらず※2、人はみな、2人の父母から生まれているため、ある時代において自分の「祖先」に当たる人の数は計算できます。1世代前は2人、2世代前は4人、と続いていくので、一般にN世代前には2N人いることになります。
源平藤橘の家系が始まったのは奈良時代から平安時代にかけて、およそ西暦700年から800年の頃です※3。世代間の年数、すなわち、各世代の人が何歳の時に子供を生んだのか、という値を30年と仮定すると、現在から40世代前ということになります。
したがって、源平藤橘の時代にいた人のうち、自分の「祖先」に当たる人は、
2⁴⁰=1兆人
ということになります。これはしかし、当時の日本の人口が1千万人程度と見積もられていることと照らし合わせると、まったくおかしな話です。
この結果は、「祖先を共通にするような組が一定数いる」ということを示しています。例えば、自分の両親がいとこ同士だった場合、その祖父母世代は共通になるため、3世代前の「祖先」の数は2人ということになります。この例から分かる通り、平安時代のある世代において自分の「祖先」が何人いたかというのは、「祖先を共通にする組」がいつ発生したかに依存します。そして、このようないわゆる「いとこ婚」は時代が古いほど多く存在したと考えられるため、源平藤橘の時代に自分の「祖先」に当たる人は実は極めて少なかった、という可能性があります。
さて、これを踏まえると、源平藤橘の時代に自分の「祖先」が何人いたかというのは、一代一代辿って行かない限り知るよしもないということになります。当時日本の全人口のうち何割が源平藤橘の家系だったかも分かりませんが、先ほどの見積もり通り、当時の自分の祖先が少なかった場合には、自分が源平藤橘の家系である可能性はおそらく低いと言えるでしょう。
こうなると、自分の血筋を探るのは、伝統的な「考古学」に依るしかありません。よく使われる手法として、苗字を辿っていくことで家系を探る方法があります。
これは比較的分かりやすい一方で、祖先が見栄を張るために勝手に名家の苗字を名乗った可能性もよく指摘されます。
家柄で生活が左右されるとはまったく世知辛い話です。仮に日本人の多くが名家の末裔だったとすると、そのような家柄の人しか子孫を残すことが出来なかった(あるいは養育する充分な環境が得られなかった)ということになり、身分の低い庶民は自然と途絶えていったという、まるでソーシャル・ダーウィニズムを具現化したような話ができあがってしまいます。
現代を生きる一庶民として、願わくば庶民の家系であってほしいと思うのはただの綺麗ごとでしょうか。
プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)
1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。
7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。
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