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今自分がやっていることが「やりたいこと」なのか、「やるべきこと」なのか、という葛藤ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑨


皆さんは大学院と聞いてどのようなイメージを抱くでしょうか。高校や大学の延長で、ひたすら授業を受けるだけと思うでしょうか。あるいは、小説「三四郎」の野々宮先生のイメージでしょうか。

実験物理、中でも素粒子や宇宙のような素朴で根源的な疑問につながる研究をする分野では、きっと高尚な思索に耽る日々を送っているのだと思われるかもしれませんが、実体としてはその真逆です。
現代の物理は複雑化・細分化の一途を辿っており、数年かけて大がかりな実験をしてようやく一つのプロジェクトが完結します。そのために装置をデザインして製造業者と交渉し、完成した装置を組み立てて動作を確認し、不具合をカバーしながら実験装置に組み込み……という一連の工程をこなさなければなりません※1

何年も勉強して大学院に入っても、待っているのは重い荷物を運んだり真空槽のネジを開け閉めしたりする日々です。学んできた高尚な物理の知識は何の役にも立ちません。

土木作業(やるべきこと)をしたいと思って大学院で物理を学びに来る人はいないでしょう。だからこそ、目指している物理学上のゴール(やりたいこと)とのギャップに当惑します。
しかし、本当の土木作業と実験のための土木作業は決定的に違います。本当の土木作業は社会のために行われますが、実験のための土木作業は誰のためにもなりません。ただ研究者たちの好奇心だけが原動力です。この原動力が無くなってしまえば、存在意義が無くなってしまうのです。


この観点で言えば、大学院という場は「やるべきことの山に押しつぶされてしまってもやりたいことを見失わない力を培う場」だとも思えるのではないでしょうか。そしてその能力は研究だけでなく、人間生活にとって普遍的に重要な能力なのではないかと思います。
人生にも研究にも客観的な意味などありません※2。ただ個々の意志が存在するだけです。意志を失ってしまえば、何も残りません。だからこそ意志を持ち続けることを、人は学び続けなければならないのではないでしょうか。

※1 どこまでを研究者で行い、どこからを業者に任せるか(いわゆる「課金するか」)は分野によって異なるようです。物理は他に比べて研究者自身で何でも請け負う傾向が強いですが、中でもテーブルトップ素粒子実験(「一言でいうと、なんの研究をしているのか」参照)の場合は前例の無い装置を使って前例のない実験をすることが多いため、ゼロから自分たちで実験全体を立ち上げることになります。このようなタイミングで研究室に入ると、待っているのは泥臭いものづくりと土木作業の日々です。
※2 この点には様々な見解があると思われます。ここではあくまで筆者個人としての観点に基づいて記述しています。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。


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