音楽はなぜ心地よいのか<前編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑩
一昔前に「モーツァルト効果」なる物がまことしやかに囁かれ、今でもその仮説に便乗したビジネスを時折見かけます。ただの音の羅列がどのようにして多様なクオリアを呼び起こし、こうも感情を揺さぶるのかはとても興味深い問題と言えますが、物質還元的にとらえれば、音楽と言えども、結局は空気の複雑な粗密波に過ぎません。
西洋音楽の歴史を辿ると、「音」を「物理現象」としてとらえる見方と非常に親和性が高いことが分かります。単純な倍音の原理からピタゴラスの音律※1を作ると、自然と12音音階が導かれ、さらに平均律※2に至ると美しい代数構造を持ちます(とともに、音の響きの美しさは損なわれる、という点も興味深い)。
すでに音律の代数構造については良書が出ていますが※3、ここでは改めてそのエッセンスを辿りましょう。
音色の心地よさを数学的に理解しよう
古典的な西洋音楽では、音楽に使われる音は「楽音」と呼ばれ、一つの楽音には基準となる一つの振動数が割り当てられます。これをその音の「音高」と呼ぶ場合もあります。
現在、楽器の調律では音高A3(振動数440Hz)が基準に取られることが多いです。
これは、空気が一秒間に440回振動するような波に相当します。その粗密の時間変化を図示すると、次のようなグラフになります。
この音高A3に「もっとも近い音」は何にあたるでしょうか。
一つの答えは、A♯3やA♭3といった、「半音離れた音」です。
これは正確に言えば、「現在、一般的に使われる12音音律において、振動数がもっとも近い音」という意味合いでの「近い音」になります。
しかし、そもそも1オクターブを離散的な12音に分ける12音音律は、必ずしも必然的な規則ではありません。実際、人の声や弦楽器では、ある音高から別の音高へ滑らかに移行することができ、1オクターブを何段階にでも分けることができます。
そこで、別の定義によって「近い音」を定義しましょう。
ゴムひもをある力で引っ張り、指ではじいたときにA3の音(440 Hz)で振動するようにします。ゴムひもの振動を細かく見ると、その振動数は厳密に440 Hzだけではありません。
その2倍の880 Hz(2倍音)や、3倍の1320 Hz(3倍音)も、かすかに観測されるはずです。さらに4倍、5倍の音も存在しますが、その強さは倍音の次数(2倍音、3倍音、…… の数字)が高くなるほど弱くなります。
このような、基準となる元の振動数の整数倍の振動数に対応する音を、元の音の「倍音」と呼びます。ゴムひもをつま弾くと、ある基音A3と、その2倍音A4、3倍音E5、などが同時に鳴ります。
ここで、同じゴムひもをもう一本用意し、引っ張る強さを変化させていきながら2本のひもを同時に弾きます。ゴムひもを引っ張る強さが全く同じとき、双方が発する音は一致し、一際強く響くことでしょう。
そこからさらに強く引っ張っていくと、ちょうど強さが4倍になったときに、再び響きが強くなるはずです。これは、2番目のゴムひもの基音(880 Hz)が、1番目のゴムひもの二倍音と一致するためです。
さらに、2番目のひもの2倍音も、1番目のひもの4倍音に一致します。
このように、「ある音に対して音高を高くしていったときに、それぞれの倍音がもっとも多く一致する音」を、「近い音」と定義するとどうなるでしょうか。
上の例の通り、ある音に対して2倍音に相当する音(1オクターブ上の音)が、もっとも「近い」ということになります。同様の理屈で、1オクターブ下の音も、「近い音」とみなすことができます。
この定義に基づくと、次に近い音は何でしょうか?
すでに察している人もいるかもしれませんが、元の音の3倍音に当たる音です。これは現代的に言えば、1オクターブ上のさらに5度上の音になります。
人間の耳で聴くと、1オクターブ離れた音同士はほぼ同音のように聞こえる一方、この「5度」の音は、元の音とは異質な音のなかで最も「近い」音ということになります。
ピタゴラス音律は、この意味で「異質で近い音」を順々に繋げていくことにより、構成されています。
次回後編⑪につづく
プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)
1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。
7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。
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