わたしがnoteをはじめたワケ
ゆっくりとした時間の流れを肯定する。手作業を肯定する。創作することを肯定する。
noteをはじめたのが、五月の終わり。
それから、2ヶ月が経とうとしてる。
noteをはじめたきっかけは、知らない人たちの世界に触れたかったから。そして、知らない人のなかに発信できるものを持ちたかったから。
以前はFacebookを中心に活動していて、誰に向けて発信しているのか?というのが明確だった。
けれど今年に入るか入らないか?くらいから、自分が描いているものを、全く知らない人たちへ向けて発信してみたくなって
同時に、まったく知らない人が反応してくれる何かを持てているのか?ということが、胸に支えはじめた。
Facebookは基本的に、直接的に合ったことがある人中心のつながり。横のつながりで出会える人が増えたのは、ありがたいことだった。
ただ、このまま固定されたネットワークの中で発信していても、自分は伸びないだろうということはボンヤリと感じられて(甘えからね)
それは、どうしても人を意識してしまう、自分の弱さがあるからなのだけど
段々と、一旦離れて、ゼロベースで言葉や作ったものを見てくれる人のなかに行かなければいけないのでは?という気持ちになっていった。
とはいえ、じゃあこうしよう!と思い切って舵を切れたわけではなく。これまでの関係をどうするの?という、心配のような打算のような、何とも言えない気持ちはあった。正直なところ。
けれどその後、Facebook画面にストレスを感じるようになり、体調も不調になってきて
これは思ってることを実行しないと、ダメだということだなと思って、少しばかり距離を置くというか、お暇をいただくように、noteを始めることにした。
Twitterも再開したり、占星術も基礎から習いはじめたりと、この数ヶ月のなかで新しい出会いを見つけた。これまでとは全然違うベースを持った人との会話があることが、今はとても楽しい。
同時に、noteを描くなかで、創作物についてではなく、創作することそのものについて考え、言葉にできているのが、これまでにはなかったことだと思っていて
それは本当に、書いたものが「読み物」になることを意識させてくれるnoteのおかげ。
体調を崩したときは、正直自分を責めてしまったし、たかだか発信の仕方如きで。と思いはしたけれど、私にとっては大切なメッセージだったと思ってる。
弱さのない人間はいないから、弱点を認めることは大事。
体は年齢や時代に応じて変わっていく。その時の体に合わないことをすれば、疲れるのが普通なのだから
これまでは出来ていたことが、これからは出来ないのだなと思った時に『じゃあ、どうするか?』と考え、舵を切る力があるうちに動くことって、大切だと思った。
今は怠っていた運動をはじめて、体調も回復している。完全な棚ぼただけど、ほんの少しウエストも復活。笑
手を動かすこと・体を動かすことでしか出会えない喜びがあるよと言い切れるまでになれてよかったなと思うし
それぞれのSNSの世界で、時間の流れ方が違うことや、話題の違いがあるというのも、面白い発見だった。
これから益々、いろんな人と出会いたいし、創作についてのスタンスも発信していきたいのだけど
沢山の人と出会うには、手作業とデスクワークが中心といえど、体力が必要。
心で踏ん張れない部分を支えてくれるのが、体幹だと思うから、そこを整えて、創作する人たちのなかに・作ったものを見てくれる人たちのなかに飛び込みたい。
noteはきっと、そのキッカケになってくれる。
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