占術と運命論と哲学01(修行時代)
こんにちは。常見多聞です。
私はこういう仕事をしておりますので
「運命」というものを意識せずにはいられません。
この難解で壮大なテーマに、どうやって対峙するか?
常に意識している、というつもりです。
運命のケーススタディとしての歴史小説
私は元々は占いや風水をやっていた人間ではありません。
しかし、運命論については、昔からとても興味があり、
学生時代から熟読していた中国の歴史小説でも
なぜこの人が報われて、この人は報われない?
なぜ人生の違いが生まれるのか。
これは一体どういうことなのか?
誠実に尽くしながら報われない人や
ずる賢く立ち回りながら利益を貪る人の違いを
ずっと考えながら、
歴史の偉人たちの勇気ある振る舞いをお手本として、
自分の人生ではどうなるのかを体験してきました。
古代中国では、信仰対象が神という概念から
天(天帝)という概念に変わって、
それを基軸に様々な思想が生まれ諸子百家が活躍し、
各思想家達の様々な運命論が生まれています。
歴史の人物達が運命に翻弄されながらも、
自己の人生をどう生きたのか?を私はずっと
参考にして生きる態度として、取り入れてきた
という経緯があります。
私の意識には歴史の偉人の運命論が常に
どこかで影響を与えており、
自分の立ち位置や態度を振る舞いは、
その人物達のバランス感覚を自分なりに統合している面があります。
とにかく自分を高めようとした修行時代
元々は自分の人生を良くするには、
自分をより高めていくことが重要だと考えて、
真剣に修行や心理セラピーや自己啓発などにかなりコミットして、
時間と労力とお金と人生をかけて頑張ってなんとか生きていました。
瞑想などの修行では神秘体験も何度もしました
修行ではよく悟りとか言いますが、
当時は真剣にそれを目指していましたし、
私なりの「小さな悟り」は得ました。
当然お釈迦さんのように悟ってはいません(笑)
しかし、私なりの深い深い体験と気づきは
たくさん得ることが出来ました。
その時に得た感覚を持って、
中国の思想や宗教の教えを読むと、
頭ではなく、体験を伴った感覚としてよく理解が出来ました。
とはいえ、
そういう自分でも自分の人生を見れば、
とても辛くて苦労の連続でして、
ホームページのプロフィールにもありますが、
私は、転職14回、社会不適合、
仕事をしないと生きていけないので、職場ではとても辛い日々が続きました。
仕事以外にも色々と大変なことはありましたが
とにかく、この長い洞窟から抜けるために、
きつくても理想高くやってきたつもりです。
修行を少しずつ活かす
その結果、瞑想によって得た感覚を
瞑想時だけではなくて、日常の生活の時もずっと継続するように努めたら、
日常がずっと楽なものになり、
次々と人生の好転が起きるようになりました。
また、瞑想によって行うことは深い自己観察
なのですが、
これを突き詰めると、
自分はどこまで自由なのか?
自由でない部分が運命によるものだとしたら、
運命に対して、つまり自分の力ではどうしようもない力に対して、
一体自分はどう対峙したらよいのか?
ということが体感覚として、わかってきます
(これを言語化すれば哲学になるのですが)
そして、たまたま色々な経緯があって、
自分は自分でありながらも、
自分の力ではどうしようもない、大いなる力も借りながら生きていくために、占いを学び始め、
なぜか不思議なことに、いつの間にかプロとして活動することになりました。
想定外の運命の展開となりました。