ゲーム;まだオフラインだった頃
こんにちは、匤成です。ゲームネタもいつかはやりないと思いつつ、良いアイデアがないので僕が子供だった頃のゲームを。ファミコン→メガドライブ→PCエンジンの順に高額で、PCエンジンの絵の綺麗さに憧れていたものだ。今となっては画質が粗いと思ってしまうけれど当時は高嶺の花だったのだ。
ファミコン
うちは裕福ではなかったけどもゲームはあった。ファミコンもやった。その頃はまだ幼くて出来なかったから、兄がするドラクエを見るのが1番楽しかった。いわゆる「ロトの大冒険」だ。ロックマンなんかもあったかな。
その頃は母も若くてテトリスやぷよぷよだった。「テトぷよ」でさえなかった。僕のプレイ動画はないので、全てYouTubeからお借りしよう。
ドクターマリオ
これまた母も凝り性なところがあって、ドクターマリオが1番得意だった。Lv20のハイが最高ランクなんだけど、これもクリアしていた。ちょっとストレスが溜まるとゲームをして、最速を繰り返しやっていた。
初代スーファミ
僕の現役時代は初代スーパーファミコンで、障碍で右手の片手プレイヤーだったから、片手で出来るゲームだった。昔のコントローラーって、トップ画にもあるけど、多くても、AB・XYだけでR1とかL1はなかった。コントローラーを少し右上に傾けて置いて、ABの上に人差し指を横ばいの状態で這わせて、一瞬だけ指の腹でBを押してドリフトしてた。もしR1とかを使う場面があっても、それは瞬間的なものでドリフトの間に瞬時に押したりもした。
プレイステーション2
その後は、遊びすぎてしまう事もあって禁止時代があり、片手で出来るゲームは「みんなのGOLF4」くらいだった。打つ方向をゆっくりと決めることができて、Aを3回押せば球は飛んだ。ホールインワンはあまり出なかったものの、アルバトロスやイーグルは普通のことだった。
コントローラーはそのあとR1・L1に飽き足らずR2・L2まで出てきてレーシングゲームは「R1がアクセル、方向はジョイスティック、ブレ-キはLボタン」だったんだよね。ゲームの世界とのお別れだった。
左手用のコントローラーならある
パソコンゲーム時代に入ってから、片手用コントローラーと言うのも出てきたけど、基本は左用に作られている。右手用もあるにはあるけど、もう随分プレーイングから離れてるし、その間にゲームをしてた人はたいていが後天性の人(健康に生まれたが、事故や病気によって障碍を負った人)なので、これまた勝負にならないのだ。
ドライブシート・コントロール時代へ
レースゲームはしばらくPSのコントローラ―、F1のハンドルのような時代が続いて、リアリティ感のあるモニター3個と下のようなシート型のコントローラー時代に入った。コントローラーというよりクルマそのものだ。
それからは、Esport(イー・スポーツ)時代に入った。ゲームだけによる、プロ・レーシングチームが生まれだした。韓国には、プロゲーマー養成学校がある。ゲームが職業として扱われているのだ。日本ではYouTuberになりたい子が多いけど、韓国ではプロゲーマーの方が人気がある。
インターネット料金(パケット使用料)の4000円と定額制だったのも韓国のほうが早かった。日本にも、あめみやたいよう みたいな強いテトリストもいるけど…韓国の方が熱い。
うん、匤成でした。