たった一人だけ流暢に英語を話すクラスメイトを横目で見ていた
「英語は苦手です」と言いながら、ふとした瞬間にその人が流暢に話している姿を見てめんくらったことがある。
日本人は英語が苦手、とはよく言われているが実際のところはわからない。
この日本において英語を流暢に話す人々は、人が知らぬところで猛勉強しているのだろうか。
英語を話す人々を見ると「すごい」と思いつつ、日本においては英語を使えなくてもそれほど不便を感じることなく暮らしていける。つまり、私のような日本生まれ日本育ちの人間が英語を使えるようになるには相当の意思が必要なのだ。
そして、ふとしたことから英語を学んでみようと思ったわたしは、まずは手始めに朝日ウィークリーという新聞を購読することにした。
この新聞、英語学習をしている人のために構成されていて、随所で日本語も織り交ぜながら書かれているので、英語初心者にもとっつきやすい。しかも時事ニュースだけではなくて、映画の紹介といった文化欄にもわりかし多く紙面がさかれていて内容も面白い。
とはいえ、週に1度届く新聞を眺めているだけでは、あまり英語学習が捗るようにも思えなかった。なにより、ついつい日本語に目が行ってしまい、英語を読まないまま終わってしまうこともあり、これではなんのために購読しているのかわかったものではない。
週刊ウィークリーはしばらく購読することにして、もう少し積極的に英語を勉強できる方法がないかと考えていて、思いついたのがオンライン英会話だった。
実は3年前にもオンライン英会話をしていた。久しぶりに同英会話サイトを開いてログインしてみた。休会状態のマイページには、英語学習時間が1750分と表示されていた。長いようで短い、その勉強時間を無駄にしてたまるか、と意気込んで再び入会した。
そして入会翌日の早朝、記念すべき再開1回目のレッスンがあった。
画面に現れたのは、わたしよりも一回り若いフィリピンの女性だった。
「Can you hear me?」
画面越しにそう聞こえる。
「Yes」と答えるが、相手は何度も聞こえているか?と確認している。どうやら私のマイクがミュートになっていたようだ。
慌てて設定を変えて、相手に何か言葉を返そうとするも、とっさに何も出てこない。
中学校から積み重ねた英語の能力はこの程度なのか…と考えるとなんとも情けない。
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思い返して見ると、私が初めて英語に触れたのは、幼いころに両親が買ってくれた英語の本だった。
それはハードカバーの図鑑のような体裁の本で、中を開くと色々な物の名前が英語と、可愛らしいイラスト付きで紹介されているのであった。その本にはCDも付いていて、本で紹介されている英語を音で聞くことができた。
幼いながらに思ったのだ。
この言語はなんてかっこいいのだろう、と。
私はそのCDを繰り返し聞いて、飽きもせずに本を眺めていたが、いつの日かその本がどこを探しても見当たらなくなってしまい、それっきりCDも聞かなくなってしまった。
そして中学生になり、いよいよ本格的に英語の授業が始まった。
憧れだった英語の会話。初めて英語を教えてくれた先生は50代手前くらいの男性教員だった。声が妙にかすれていたのを覚えている。そしてよくつばが飛ぶ人だった。英語の授業のときに最前列に座っていると、いつの間にかノートや教科書の上にうっすらと小さな染みができているのだ。
英語を使った会話の授業をひそかに楽しみにしていたが、教室の雰囲気は冷ややかだった。ただでさえ、敬遠されている教師の授業で、巻き舌や鼻に通るようなネイティブの発音を真似してみようとする生徒はほとんどいなかった。生まれも育ちも日本という田舎町の中学生である。ちょっとネイティブっぽく発音しようとするものなら「カッコつけている」と思われるような村社会だった。
いかにもカタカナ英語が飛び交う授業の中で、徐々に英語への憧れが薄れていった。
そんな中でも、たった一人だけものすごく発音が上手な男の子が一人だけいた。ご両親の仕事の関係で、一時期海外で生活していたことがあるとか、そんなことを聞いた気がする。
たった一人だけ本場の発音をするその男の子は、当然のことながらとても目立っていた。ちょっとふざけて見せたりして、愛嬌を見せることができたら良かったのかもしれない。でも彼はいたって真面目な性格で、当然のように淡々と美しい英語を話していたから、クラスの中でも少し浮いていた。
「あいつは他の科目でも、テスト満点らしい」
そんな噂話を聞きながら、ひそかに上手に英語を話すその男の子のことを羨ましいと思っていた。
ある日、英語の教師が「英語のスピーチコンテストに出場するメンバーを決める」と言い出した。全国大会のコンテストらしく、一つの中学校から数人のメンバーが選ばれて、トーナメント式で勝ち進んでいくらしい。
指定された2、3ページほどの教科書の英語の文章を、暗記してクラスの全員が一人ひとり発表することになった。
内容はほとんど忘れてしまったが、SFっぽい設定になっていて、数人の子どもたちが突然宇宙のどこかに飛ばされる、そんな内容だった。
「Where am I? Who am I ?」
教室ではカタカナ英語で済ませていたわたしが、毎晩、自分の部屋に閉じこもって情感たっぷりに声を張り上げて練習した。どうすればネイティブっぽく聞こえるのか?英語のCDを聞きながら、発音記号を見比べて確認した。
そして、教室での発表の日。ほとんどの生徒が全部を覚えていなかったり、カタカナ英語で話している姿を見ながら自分の番を緊張して待った。
「張り切りすぎだ」と思われたらどうしよう。
いよいよ自分の番が来て、講壇の前に立った。同級生は机に顔を突っ伏していたり、あらぬ方向を見てぼんやりしている。ままよと思い、練習したように発表した。
緊張していて、話している最中は何も考えられなかったけれど、なんとか最後まで終えることができた。
講壇から降りるときに、先生が「Very good!」と言って拍手してくれた。
コンテストのメンバーとして、例の男の子と、わたしがその教室から選ばれた。にわかに「すごいね」という視線が彼とわたしに向けられた。
そして学年選抜メンバーを選ぶことになり、改めて他に選ばれたメンバーの前で同じ文章を発表した。例の男の子のように、何人かの生徒は流暢な発音で話していた。その姿を見ながら、純粋に「こんな風に話せるようになれたらいいな」と思った。
当然ながら、私は学年選抜メンバーになることはできなかった。そして、英語への憧れと興味は、一度はメンバーに選ばれたという少しだけ誇らしい思い出と共に、しばらくはしまわれることになった。
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ようやくマイクのミュートを解除して、「お待たせしてすみません」という言葉の代わりに困ったような笑顔を向けた。
英会話講師のフィリピン女性は、「良かった」ということを英語で言った。続けて自己紹介をしてくれたのだけれど、私は彼女の話すスピードについていけず、ほとんど内容がわからなかった。
でも、流暢な英語を聞きながら、いつの間にか忘れ去られていた英語への憧れに似た気持ちを思い出した。
英語の小説を原文で読むこと、それが英語を学ぶ一番の目的だった。それを知っている夫は、オンライン英会話を始めるということを聞いたとき「それはまた遠回りなことを」と言って呆れていた。読み書きができればいいのだから、なぜ英会話を?ということなのだろう。私自身、英会話をしなければならない理由はとりたててなかった。
でも、21歳のフィリピンの女性の英語を聞きながら「英語ってカッコいい」とまるで子どものころと同じようなことを思ったわたしは、もう一度頑張ってみようと思った。