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古橋本棚#2 『桜桃』
こんにちは。
古橋本棚第2回目は、太宰治『桜桃』です。
短い話なので、ぜひ読んでみてください。
1.『桜桃』の紹介
『桜桃』は1948年(昭和23年)、太宰治によって執筆された短編小説です。太宰の忌日である「桜桃忌」は、この作品から着想を得て名付けられました。今回は、『桜桃』のあらすじ・解説・感想までをまとめました。
2.『桜桃』のあらすじ
作家の「私」は、妻、七歳の長女、四歳の長男、一歳の次女の5人家族で暮らしている。「私」は「日々悩み煩うことが多いために、表面では道化を装わざるを得ない」と言う考えから、家にいるときを初め、どのような場面でも冗談を言っている。長男は発達に遅れが見られ、少しも成長しないが、「私」と妻はこの長男について深く話し合うことを避けている。夫婦ともども精一杯の努力で生きていると「私」は分析しており、しばしばこの長男を抱いて川に飛び込み、死んでしまいたくなる。
ある日、夫婦で汗をかく部位について話していたところ、妻は乳房の間に汗をかく、とこぼした。そしてそれは「涙の谷」であると告げた。この一言がきっかけとなり、夫婦喧嘩が始まってしまう。「私」は、生きるのはたいへんな事だ、「あちこちから鎖が絡まって少しでも動くと血が吹き出すようなもの」だと感じる。
妻に耐えられなくなった「私」は家を出て、酒場へ向かう。酒場では美しい桜桃が出た。このような贅沢な桜桃を、子供たちは見たこともないだろう、家に持って帰ったら喜ぶだろうと「私」は思う。しかし「私」はその桜桃を極めてまずそうに食べ、虚勢のように「子供よりも親が大事」と呟くのであった。
3.『桜桃』の概要
主人公
私(父)
重要人物
妻(母)
主な舞台
私と家族の自宅
時代背景
昭和
作者
太宰治
4.『桜桃』解説(考察)
⑴太宰の長男について
はじめに、他の姉妹よりも詳細に描かれていた夫婦の長男について、掘り下げてみましょう。『桜桃』では、長男について、次のように描写されています。
四歳の長男は、痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事も出来ない。這って歩いていて、ウンコもオシッコも教えない。それでいて、ごはんは実にたくさん食べる。けれども、いつも痩せて小さく、髪の毛も薄く、少しも成長しない。
ここからは、他の姉妹と比べて、長男が身体的にも精神的にも発達が遅れており、日常のコミュニケーションもままならないことが分かります。しかし、夫婦はこの息子が、普通ではない発達状況にあることを肯定しませんでした。なぜでしょうか? それを認めてしまえば、息子や夫婦の悲惨な運命を受け入れることになるからです。「私」は気づかないふりをして長男をからかいつつも、発作的に彼を抱いて死んでしまいたくなる時もあるのでした。
いわゆる障害児として描かれている主人公の長男。太宰自身にも発育の遅れた息子がいたようです。
太宰には、正妻・津島美智子との間に3人の子供がいました。1941年(昭和16年)生まれの長女、園子。1944年(昭和19年)生まれの長男、正樹。そして1947年(昭和22年)生まれの次女、里子(作家の津島佑子氏)です。太宰家の真ん中の子供として生まれた長男・正樹には、言葉や知的な遅れが見られました。津島佑子は、自身の年表に兄を「ダウン症」と表記し、著作においても障害のある兄をモチーフにして、発表しています。また、障害児に関する描写は『ヴィヨンの妻』など、『桜桃』以外の太宰の著作にも見出すことができます。長男の存在は、妹の津島佑子氏にも、そして父である太宰にも、強く影響を与えていたと推測されます。
太宰は希死念慮が強く、さまざまなタイミングで自殺を遂行しようとした人物でした。太宰の文学作品に出てくる人物も、多くの不安や悩みを抱えながら、現実から逃げようとしています。太宰は愛人の太田静子と入水自殺をする前に、本妻・美智子に「小説を書くのがいやになったから死ぬ」と書き残したそうです。より良い作品を残していかなければならない、作家としての苦しみももちろんあったと思いますが、上記で述べた長男の発達の遅れや、彼の将来、父としてのやりきれなさも抑うつ感の要素のひとつであったのかもしれません。息子の障害を受容すると言うことは、息子の発育を受け入れ、触れ合いを模索し、共生すると言うことです。今の時代のように障害のある人間に対して、支援も医療も教育も発達していなかった時代。どうしようもない、やり場のない思いを持っていたのではないでしょうか。
⑵責任が伴う〈大人〉だから、苦しくなる
次に、「私」の家庭に対する独自の見解について、振り返ってみましょう。本作品は次のような文章から始まっています。
子供より親が大事、と思いたい。子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。少くとも、私の家庭においては、そうである。
「子供よりも親が大事」。この主張は冒頭と終末の文に繰り返し表されます。なぜそう考えるのでしょうか? それは「子供よりもその親のほうが弱い」存在だからだと、「私」は続けます。
では、どのような所が、子供よりも親のほうが弱いのか。
大人(親)は、学校や家庭のルールに縛られていない分、子供よりも自由に行動することができます。知識もあれば、働くこともできる。金銭を使って好きなものを買うことができる。お酒も煙草も自由に嗜むことができれば、桜桃のようにぜいたくな食べ物を食べることだってできます。そして子供よりも影響力が強い。まさに自由なのです。けれども、「私」は、親こそは子供より弱いのだとさらけ出す。一体何が彼にそう思わせているのでしょうか。
大人には責任が伴います。そして親には子供を養う責任があります。まだ働くことのできない年齢の子供に、ご飯を食べさせなければなりません。衣服を与え、住むところを提供しなくてはいけない。学を与えなければいけない。より美味しい食べ物、より快適な衣服、より高度な学問を与えるには、お金が必要になります。そしてお金は当然ながら、労働を対価として支払われる。作家という職業の「私」の場合は、「売れる小説」を書かなければ、豊かな生活はおろか、生計を立てることさえできないのです。しかし「私」は本文でも自虐される通り、もともとたくさん書ける小説家ではありません。自分の思っていることが主張できないもどかしさから、やけになって飲酒をしてしまう。家にいれるお金もそれほど多いようには見えず、家庭にも協力的ではないため、妻との関係もギクシャクしてしまう。加えて発達の遅れた長男をどのように育てればいいのかわからず、向き合うことを放棄しつつある。自身を極端な「小心者」と自負する「私」の身の上には、大黒柱として、四人の家族を支えなければならない重い責任が覆い被さっていたのでした。もちろん妻も少ないお金でやりくりし、子供たちを育てるという責任を持っています(そして妻は夫と違ってその役割を果たしています)。「私」は妻の苦労は心の中では理解していますが、自分の仕事のことで精一杯で余裕がないため、相手を思いやることができません。そうして夫婦は口喧嘩へと発展してしまうのでした。
子供には誰かを養う責任はありません。ただ広がる将来の展望に期待して、成長するだけです。何にも囚われることなく、何事に対しても前向きに挑戦できる存在です。けれども、大人は違う。大人、特に家庭を持つ大人は、時間においても金銭においても、行動を制限されてしまいます。つまり時間に縛られてしまう。子供たちが病気になったときには、自分の予定を変更してまで看病しなければならない。子供たちの学びたい気持ちを優先するためには、自分のやりたいことを我慢しなければならない。
妻がそれとなく、しかし痛烈に放った、「涙の谷」という言葉。夫は子育てもろくにせず、自分ばかりが忙しく働いている……彼女の思いを受け止めながら、かといって子供たちを世話する暇もなく、逃げ出してしまう「私」。〈父〉として子供と妻を養う責任、〈作家〉としてより良い作品を作る責任。一生懸命生きているつもりでも、どうにもならない現実が「私」の行先を塞いでいる。子供よりも大人の方が、〈責任〉と言う重圧に押しつぶされるから、そしてその重圧に耐えることができないから、弱い。心の底では家族をよろこばせてあげたいけれども、自らの心の余裕もないために、優しく接することができなくなってしまう。太宰の心の叫びが登場人物に重なるようです。
『桜桃』が執筆されたのは1948年。戦後ですね。『ヴィヨンの妻』と重複しますが、思想の流れが急激に変わり、社会が混乱して豊かとは言えなかった時代。人々が余裕のある生活をすることが難しかった時代です。大人がしっかりしないといけない。天皇制の日本社会を民主主義国家として再建させていかなければならない。いわば大人が大人らしく振る舞うことを、必要以上に求められた時代です。だからこそ、子供より親が大事だと、「私」は主張したのではないでしょうか。経済的にも仕事の面でも切羽詰まっていると、人間は追い込まれてしまう。大人を守ってくれるものはない。大人の叫びを聞いてくれるものもない。その寂しさ。やりきれなさ。絶望感。孤独感。鬱。現代人にも同じような苦労を抱えて生きる人たちが多そうです。『桜桃』は、「親は子供よりもしっかりしているのは当たり前」だった従来の価値観を、個人の人間性という側面から改めて見直した前衛的な作品だったのかもしれません。
⑶桜桃忌について
太宰治の忌日、1948年(昭和23年)6月19日は「桜桃忌」と呼ばれています。同年に執筆された本作品『桜桃』にちなんで、同郷津軽の作家、今官一によって名付けられました。この日は太宰の誕生日でもあったことから、太宰と直接親交のあった人々が酒を酌み交わし、桜桃をつまみながら偲んだそうです。太宰の墓石は東京都三鷹市の禅林寺に納められており、現在でも多くのファンが集っています。
5.『桜桃』感想
⑴「子供よりも親が大事」をどう捉えるか
「子供よりも親が大事」「子供よりもその親のほうが弱い」。繰り返される主人公の主張は、多様性の社会となった昨今でこそ、胸に響くようです。親なのだから立派でなければならない。常に子供の見本でなければいけない。けれども子を持つとはいえ、親も一人の人間です。悩みもあれば、漠然とした不安も持ち合わせる。
『桜桃』の主人公も、子供の存在を鬱陶しく思っているわけではありませんでした。子供たちの具合が悪い時は、かわいそうな気持ちになります。もっと良い家に引っ越して、妻や子供たちを喜ばせてあげたいと思う。そして桜桃が出たときは、子供たちに持って帰ったらさぞ喜ぶだろうと想像する。しかし、想うだけではお金は入ってこない。良い作品も作ることもできない。障害のある息子との、適切な接し方も会得できない。主人公も太宰も、どうにかしたい気持ちはあるのに、どうにもできない自分自身のままならなさ、やりきれなさに途方に暮れていたのかもしれません。
子供たちは何も考えません。前だけを見て生きています。ありのままを感じ、生きようとします。太宰にはそれがとても強く逞しいものに見えたのではないでしょうか。大人として、父として、あるべき大人の役割を認識しながらも、子供のように自由に行動できないもどかしさもあったのでしょう。自由でありながら、自由に囚われている。個性、個人の意思が尊重される現代です。「子供よりも親が大事」という主張は一見非難されるような言葉ではあるけれど、そんなふうに呟かざるを得なかった太宰を、真っ向から否定できない思いもあります。
⑵弱さをさらけ出せるという「強み」
近代文学の中で、太宰治ほど人間の弱さ、愚かさ、漠然たる不安感をありのまま書いた作家はいないと感じます。通常、人間とは自らの弱点を隠したがるものです。現代人も、自分の満たされていない部分を隠そうとして、SNSで充実アピールをしたり、自慢をしたりします。認められたい。尊敬されたい。上に立ちたい。一番になりたい。人よりも勝っていたい。けれども太宰にはいっさいそういうプライドがない。他人に格好よく見られようと言う意識がない(自堕落な自分を見て笑ってくれ、という道化の精神はありますが、それは見栄ではありませんから)。誰もが抱えるやりきれない思いや不安感を、自らの人生を媒介にして表現している。「これこそが私の精一杯です」と言えるのは、自分自身を多角的に理解できていなければ(=精一杯の自分を背伸びせずに受け入れることができなければ)難しいものです。弱さをさらけ出せるのって、意外とできない。そんなウィークポイントを言葉にして読者に提示し、個人としてのあり方について、疑問を投げかけた太宰。ある意味強い。強すぎる。そういう俯瞰的な主観が読者を惹きつけ、読み継がれるゆえんなのかなあ、と思いました。
以上、『桜桃』のあらすじと考察・解説でした。