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「ごめんね」「いいよ」が存在しない指導

「ごめんね」
「いいよ」

小学校でケンカした後にいつも見かける光景。
けんかした後ってさ、
先生は必ずここまでもっていかないといけないと思っているよね。
自分もそう思っていた。
お互いに自分の非を認めさせて、謝る。謝らせる。
教師は絶対的な審判としてそこに立ちはだかるわけだ。

白黒はっきりつけること。
これが何よりも大切。
今までそう考えてきた。
でも、最近そうじゃないということがわかってきたんだな。

こんなことを昔の自分が聞いたら、
「ああ…あんたもかわったね…」
と嘆くんだろうな。
でも、結局はそういうもんだ。
白・黒なんて決めたって意味がない。

先生が「ここが悪い」なんて決められるなんていうのは幻なんだな。
もやもやした心でとりあえず謝ったって、
結局はそのもやもやがまじりあってグレーになる。
へたすると謝る前よりも真っ黒になることも。

「ごめんね」
「いいよ」
をゴールにしちゃいけないんだな。
心の込もらない「ごめんね」ほど人を傷つけるものはないから。

前に担任した子で謝れない子がいた。
どんなに悪いことをしたって「ごめんね」の一言が言えないのさ。
「ごめんね」が言えないまま時間がすぎていく。
なんの進展もないまま、なんとなく話が打ち切られちゃうのさ。
そして、また同じことが起きていく。

前に担任した子で許せない子がいた。
相手がどんなに謝ったって
「絶対にゆるさない!」
の一点張り。
これじゃあ、話したって意味がないよね。
意味がないどころか関係性はもっと悪くなる。


「ごめんね」
「いいよ」
ただそれだけでお互いに突きつけた剣をさやに収められるのは、
よっぽど優しい集団なのさ。


じゃあ、どうすればいいのさ?
ずっと考えてきて、やっとその答えが見つかったよ。
ある先生がそのヒントをくれた。
その先生のケンカ後の指導を見ていてわかっちゃったよ。
その先生、ケンカしたあと、話し合いなんてさせないのさ。
お互いの話を聞いて、終わり。
びっくりするでしょ?
でも、双方これで納得する。
そしてケンカは減っていくんだよね。

えっ?そんなこと可能なの?
そう思うでしょ。
自分もそうだったよ。
でも、これがうまくいくんだよね。
キーワードは「納得」と「安心感」なんだよ。

人はなぜ「ごめん」が言えないのか?
人はなぜ「ゆるさない」と言うのか?

それは、傷ついた自分を守りたいからなのさ。
でも、「おまえが悪い」なんて決めつけられるから
ますます自分を守りたくなるんだよね。

その先生のやり方はね、
まず、泣いている方を別室に呼ぶのさ。
そして、何があったかを聞き、すべてを肯定してやる
「それはひどいことされたな…」
「ゆるせないな!」
って。
全面的に味方になってやるのさ。
泣いている子はここで、ふっと心が安心するのさ。
ここで心のトゲが半分は抜け落ちるのさ。
「じゃあ、先生が相手にやめるように言ってやるからな。安心してな。」
と言って、その子を教室に返し、目の前で泣かせた相手を別室に呼ぶんだな。

ここまでは、よくある展開でしょ?
でも、この後が普通じゃないのさ。
呼ばれた子は、泣いた子が別室に呼ばれた時点で自分の悪いことを先生にたくさん言われたと思っているんだよね。
でも、ここでその先生は責めないのさ。

「いろいろあったみたいだな。大丈夫か?ちょっと事情を聞かせてもらえるか?」
って優しくいうのさ。
泣かせちゃった子はここで、ふっとゆるむのさ。
だって怒られると思っていたからね。

少し涙ぐみながらぽつりぽつりと話し始めるのさ。
もちろん泣いた子と泣かせた子の話がずれていることもあるよ。
でも、それも全面的に受け止めてあげるのさ。
「そんなことされたら、そんなふうにしたくなっちゃうよな。」
「そんなことがあったのか…たいへんだったなぁ。」ってね。


すると、不思議なことにその子がこんな風に言い出す時もあるのさ。
「でもね、はじめぼくがこんなこと言っちゃったんだよね。」
とか。
自分を守る必要がなくなるからね。
自分の非もすっと認められるようになる。


「じゃあ、その気持ち先生が伝えといてあげるよ。機会があったら自分でも伝えてみるといいんじゃない?」
そういって教室にかえす。
それで終わり。
面と向かって話し合いなんてしないのさ。


話し合いをしたって、心の底から納得していなかったら意味はない。
だから、話し合いをしない。
このやり方ってすごく人の心理をついているなぁと思う。

やるとわかるけど、泣かされた子は泣かせた子が別室に呼ばれたのを見るだけで
「先生は自分のために動いてくれた」
と思うものなのさ。
そして、泣かせた子が泣きながら帰ってきたのを見て、心のトゲが落ちるのさ。

でも、実際は指導されたわけじゃない。
先生は双方の話をじっくり聞いて
「わかるよ」と寄り添っただけなのさ。



「ごめんね」
「いいよ」
なんてなくたっていい。
面と向かって話し合わなくたっていいのさ。

大切なのは
「納得すること」と「安心すること」なんだね。


こう考えていくとすごくラクになる。
面と向かって話し合いをさせるとどうしても

「謝らせなきゃ」
って思っちゃう。
しかも、中立であらなきゃと思いながらも先入観でどちらかの味方をしてしまうこともあるんだな。

でも、1人1人別々ならじっくり話が聞ける。
どちらかの味方をする必要がなくなるのさ。

「先生は警察じゃない」
よく言われる言葉だけど、その通りなのかもしれないな。
本当も嘘も飲み込んで受け入れてあげる。
そうすると自然に仲良くなれるものなのかもしれない。

「納得」と「安心感」を積み上げた先に
「ごめん」と「いいよ」が先生なしにできる世界が広がるのかもしれないなぁ。

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