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学校ってどうしていかなきゃならないの? そんな風に問いかけられた時はないでしょうか? そんな時僕は「かしこくなるためだよ」と答えます。 なぜそう考えているのか。僕の頭の中をまとめてみました。
以前ブログでまとめていた息子と娘の小さい頃の記事です。 なつかしい…。
子どもたちに伝えるための掲示物
恐竜が大好きな息子。3歳から現在に至るまでの学びの記録です。
「遊び」とは何か?ロジェ・カイヨワの考え方をもとに探ります。現代社会がなぜ息苦しいのか?まとめていきます。
◾️恐竜への目覚め息子(小4)は恐竜が大好きだ。 恐竜にはまりはじめたのは3歳のころ。 それまでは「動物」大好きだったのだが、あるきっかけで恐竜にのめりこんだ。 きっかけは 「獣電戦隊キョウリュウジャー」 である。 「どうして恐竜が好きなの?」 と息子にきくと、返ってきた答えは 「つよくておおきいから!!」 とのこと。 現在息子は小学校4年生。 7年以上の時が経つがこの「恐竜熱」は冷めない。 それどころか、年々パワーアップしている印象を受ける。 息子の様子を見ていると、
そのようなご意見をいただくことがあります。 いやいや!そんなこと考えていませんよ! 「つらいなら、離れればいい!逃げたっていい!」 そう考えています。 でも「逃げ出す」っていうワードはちょっと強すぎる言葉ですよね。 そもそも、その場から逃げ出したんじゃなくて「合わないから距離をとっただけ」っていう場合もあるし… …といろいろ考えた結果「にげだす」の隣に「はなれる」を付け足しました。 「階段」という表現にすると、どうしても「上」と「下」にわかれてしまう。 「上の方」=
うちの娘は今4歳です。 家では小さなお母さんです(笑) 夢は「おねえさん」になること。 あとは「プリキュア」になること。らしいです。 子どもにとって「おねえさん」という少し上の存在って憧れなんですよね。 「少し上の人にあこがれる」 これは教育にとって大切なキーワードですね。 ちなみに弟の方に夢を聞くと、 「パ(ア)ンパンマン!」と力強く(笑)答えます。 ちなみに何を聞いても息子は 「パ(ア)ンパンマン!」と答えます。 先日娘が 「大きくなったらパパと結婚する~
冬休み。 私は子ども達からたくさんのプレゼントをもらいます。 うちの子はプレゼントが大好きです。 プレゼントをもらうのも好きですが、誰かにあげる方がもっと好きなようです。 わが家は「折り紙」だけはいくらでも買ってあげることになっています。 その折り紙は様々なものに形を変えます。 普通に折り紙として、使われることもあれば、 ある時は、切り刻まれてコップに入り、ジュースとしてふるまわれます。 またある時はメッセージカードとして使われます。 「パパ。いつもお仕事してくれてあり
そんなことを妻から聞きました。 普段から「おかあさんといっしょ」は子ども達は大好きなのですが、大爆笑することはあまりないなぁ。いったい何に大爆笑していたのだろう? 子ども達が大爆笑したしたもの。 それは「マギー審司」の芸です。 「マギー審司」と言えばあの「耳がでっかくなっちゃった」が有名ですが。 子ども達が大爆笑したのはそこではありません。 子ども達が大爆笑したところ。それは、「ラッキー」が出てくるところです。 「ラッキー」って知ってますか? あのぬいぐるみをまるで
息子(2歳)のお話が上手になってきました。 お話が上手になってきた息子ですが、昨日こんなことがありました。 「めんめ~!はっは~!」 上機嫌な声が聞こえるなぁ。と思っていたら、息子(2歳)が机の上でお絵かきをしていました。 ○を書くのが上手になってきた彼は、最近お絵かきにはまっています。 どうやら○の中に○をふたつ書いて 「めんめ~(目が書けたぜ)!!はっはっは~!!」 と笑っているようです。 ○の中に4つ○を書いて顔をつくった彼は 「パ(ア)ンパンマン!!」とご
「ごめんね」 「いいよ」 小学校でケンカした後にいつも見かける光景。 けんかした後ってさ、 先生は必ずここまでもっていかないといけないと思っているよね。 自分もそう思っていた。 お互いに自分の非を認めさせて、謝る。謝らせる。 教師は絶対的な審判としてそこに立ちはだかるわけだ。 白黒はっきりつけること。 これが何よりも大切。 今までそう考えてきた。 でも、最近そうじゃないということがわかってきたんだな。 こんなことを昔の自分が聞いたら、 「ああ…あんたもかわったね…」 と
<ある冬の日の会話> 同僚:「furuさんは今日どうやって来たの?」 僕:「えっ?僕ですか?チャリですけど。」 同僚:「えっ?チャリ!?この雪の中を!?」 そんな会話を何度くりかえしてきたことだろうか… みんな驚くのは無理もない。 ここは札幌である。 積雪は毎年僕の背の高さを超える。 電話ボックスをも超えるこの雪の量… ちなみにこれが普段の電話ボックス。 さすが札幌だ…あらためて写真を見ると、恐ろしさがハンパない… そんな極寒の地札幌で僕は毎日チャリを漕ぎ続けている。
「わかること」「できること」「成長すること」 それだけを子どもたちに求めるからつらくなるよ。 大切なのは 「分かれば分かるほど分からなくなること」 「できればできるほどできないことが分かること」 「伝えれば伝えるほど、伝えられていないこと」 こういうことに気づくことだよ。 そんなことを子どもたちに伝えるために使っている図。 「挑戦のふりこ」を活用したい方はダウンロードしてお使いください。 「プリントアウト」「コピー」「無料配布」はご自由にどうぞ! (変更,改変,加工
「勉強ってさやればやるほどわからなくなるよね。 できるようになればなるほど、できないことが見えてくるね。 人生ってそんなもんだよね〜。」 こんなことを小学校2年生に語りかけている(笑) でも子どもたちの顔はにこにこ。 意外に伝わっているようだ。小学校2年生だってあなどれないのだ。 「挑戦の振り子をふってごらん? いいのいいの、できなくても。」 僕は毎日のようにこんなことを言っている。 「わかること」だけを求めるからきつくなる。 「できること」だけを目指すから苦し
「わあ出てきた!」 育てていた枝豆から芽が出た でも、それは間違っていた… という話。 学校の畑で育てるために僕は、枝豆の苗を育てている。種をキッチンペーパーに包み、暖かい場所で育てる。 …すると数日後に枝豆の種は発芽した。出てきた小さな小さな芽。それを見届けてから僕はそっと種を土に植えた。 その成長を見守っていくうちに 「あれ?これはおかしいぞ?」 と僕は思った。 どうやら僕が芽だと思っていたものは芽ではなかったようだ。発芽した後にぐんぐん伸びていたもの。それは根だっ
〜腹が立ったら〜 まずは怒りを「消火」させよう。次に、怒りを覚えたことをちっぽけなことに「小化」させよう。そこまで落ち着いたら自分の中でゆっくりと「消化」して、より高いものに「昇華」させていく。「消火」もせずに「昇華」させようとするから、心がちぐはぐになる。まずは「消火」だ。
外につぶやかないで、自分の中に蓄積する。 そんな試みを数ヶ月続けてみたわけだけど、これがなかなか心地がよい。 今までの僕はたくさんの記事を書き連ねてきた。 思考の幅を広げるために、自分の考えを深めるために。解像度をあげるために。 それはある一定の効果を得たと思う。 でも、それがある時点で逆回転し始めた。 つぶやけばつぶやくほど、僕の思考の幅は狭まっていく。 そんな感覚を抱くようになった。 きっと「僕」というものを固めるための時期が過ぎて「僕」というものを崩す時期にきたから
「バケツでぞうきんをぬらすと密になっちゃうから、今日からこれを使ってねー」 朝の会で僕はクラスに3本のきりふきを置いた。 子どもたちの目が輝く。 「おおー!」 きりふきは子どもたちにとって憧れの道具だ。 あの水の吹き出すなんとも言えない感覚。 なかなかいじらせてもらえないあの道具を堂々と使えるのだ。 盛り上がるのも無理はない。 ちなみに僕のクラスにはそうじの役割分担がない。 2人がペアになって、自分たちで仕事を選択する。 そんな「隊長制度」を導入している。 だから、誰も
数年前みゆき会で話題になっていた 「アダプティブ戦略」 まあ、簡単に言えば「後出しジャンケン」だ。 子どもたちの状況を見とってそこから必要な課題を生み出すというもの。 坂内さんが試行錯誤の果てにたどりついた戦略なんだけど、数年前の僕はイマイチこの感覚がわからなかった。 なぜなら、とてもこわかったから。 やらせてみて、子どもたちの課題を見つけ、それを提示する。 当初僕がそれをやってしまったら、大変なことが起きた。 学びが拡散して、収拾がつかなくなる。 そして、見とるにも
僕の授業はアウトプット中心だ。 でも、話すというアウトプットだと「話す人ー聞く人」という構図に陥ってしまう。 誰もが同時にアウトプットできる。 それが「書く」ということだ。 国語でも算数でも理科でも社会でも。 ほぼほぼ書いている。 その中で生まれたものをまねしあいながら学習を深めていく。 僕の授業はこのくりかえしだ。 ◎国語の時間のアウトプット 「報告書を書こう」の学習。社会のちらしの学習とカリキュラムマネジメント。 国語の時数をつかって、社会の学びを深める。 カリマネ