説明できるうちは理解できていない
数年前みゆき会で話題になっていた
「アダプティブ戦略」
まあ、簡単に言えば「後出しジャンケン」だ。
子どもたちの状況を見とってそこから必要な課題を生み出すというもの。
坂内さんが試行錯誤の果てにたどりついた戦略なんだけど、数年前の僕はイマイチこの感覚がわからなかった。
なぜなら、とてもこわかったから。
やらせてみて、子どもたちの課題を見つけ、それを提示する。
当初僕がそれをやってしまったら、大変なことが起きた。
学びが拡散して、収拾がつかなくなる。
そして、見とるにもダメな所が多過ぎてにっちもさっちもいかなくなる
何にもわからない僕が「任せてやらせてみる」のはリスクが高過ぎた。
僕はまだ、ある程度型を決めて、そこから学びを紡ぐ方法しかとれなかった。
しかし、最近なぜか僕はこの「アダプティブ」の感覚がわかるようになってきた。
準備せずにある程度任せても、以前より子どもたちの学びが拡散することがなくなってきた。
多分、たくさんの失敗を重ねるうちに僕は子どもたちの学びの核となる部分が見えてきたのだろう。それを無意識に抑えながら学びを任せられるようになった。
ひと昔前まで理解すらできなかったことが、いつの間にか理解できるようになっている。
人の成長はいきなりおとずれるものなんだなぁ。
そんなことを感じる。
あの時、坂内さんの言葉が僕にうまく伝わらなかったように、この感覚はどうにも伝えようがない。ふわふわと漂っているような不思議な感覚だ。
説明できるうちは理解なんてできていないのかもしれないな。
自分の中にしっかりと根付くと、説明ができなくなる。
わかったことが、わからなくなること。
これが本当の理解なのかもしれない。
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