ベッド組み立ての際に垣間見えた浅ましさの話。
久々に、黒いドロドロした感情が出てきた話!
先日、二段ベッドを購入した。
そのことで、幾つか書きたいことがある。
※二段ベッドを買うに至った話はこちらをご参照。
https://note.com/furokun/n/ndf172eb6c8fc
二段ベッドは、格安の家具量販店で購入した。どこかとは言わないが、そこまで裕福でない我が家は、いつもこのお店にお世話になっているのだ。
二段ベッドと言っても幾つか種類があったが、子供たち本人の希望と、それと展示品で触って見た限りの強度によって、割と値が張るタイプをチョイスした。
ただ、そこは量販店だし、高いと言っても10万円しないくらいの価格のものだ。安全性というか、子供たちが毎日眠るベッドだし、少しでも丈夫なものにしたいと思ってこれを選んだ。ベッドの一段目は息子(兄)が寝るので、触って確かめてみて、強度が心配に感じたタイプのものは避けた。
で、会計をして、配送の日時を決める。
その時、お店側から、
との話があった。
そうだ。ここは量販店。在庫があれば買ったその場で持ち帰り、自宅で組み立てをするタイプの家具がほとんどだ。組み立てしやすく、自分でそれをおこなうことが出来るから、その分だけ人件費を削ったり、かさばらないから運送の費用も圧縮できる。それが安さの理由なのかもしれない。
だが、二段ベッドは大きいし、自宅で組み立てるとなると少々大変そうだし、時間もかかりそうだ。どうやら到着日は平日になりそうなので、その日の就寝に待ち合わせるには、仕事の合間で作る必要もある。それに、何度も繰り返すが、子供が毎日眠る場所なので、素人の私が組み立てるより、プロの方にお願いしてやっていただいたほうが安心だと判断。費用は数千円か、むしろ、それでやっていただけるなら助かる。
というわけで、あまり悩まずに「組み立てもお願いします」と承諾した。
そしてベッドが到着する日。
事前に聞いていた予定では、11時半~ということだったので、その日は早めにご飯を食べてしまおうと、11時には買い出しに出掛けた。
そしたら、11時ちょっと過ぎになって、見知らぬ番号から電話。出てみたら、今日ベッドを届けてくれる配送業者さんからだった。
とのこと。
予定より遅くなるのは困るが、早くなる分にはありがたい。なので、出先から慌てて戻り、お昼ご飯は急いで食べて、業者さんを自宅に迎え入れることにする。
初見は感じの良いおニイチャンといった方が対応してくれた。ただ、他の作業員の方も何人か居らっしゃったが、特段、彼らは挨拶も無く、早速作業に取り掛かり始めた。さっきまで外で吸っていたと思われるタバコの匂いをまといながら。
まあいい。別に挨拶しようがしまいが、きっちり仕事をやってくれればこちらは構わない。部屋の中もタバコくさいが、後でファブリーズをかけるからいい。
設置場所とかいろいろ情報を業者さんにお伝えした後、昼休みも終わりの時間になったので、私は別室で仕事を再開する。
業者さんはまだ作業中だ。
が、どうにも気になる。
寝室の二段ベッドの組み立ての様子が。
というのも、こんな声が壁越しに漏れ聞こえてくるのだ。
一回ではない。何度も聞こえる。仕事に集中できない。
それは別に彼らの声がうるさいとかではなく、純粋に「そのネジって、ちゃんと組み立ての時に必要なやつだよね?」「っていうか、適当に作業しないよね?」という不安が渦巻いてしまって、集中できなかったのだ。
基本的には私は、そういう工事などの作業をお願いする際には、作業の途中経過は見ないようにして、終わりだけ確認するようにしている。それは、私がシステム開発の仕事に就いていて、サービスや製品を提供する立場としては、顧客に傍でジーッと見つめられると何とも作業をしづらいことを知っていたからだ。途中の状況をジロジロ見られると作業に集中できなかったりするから、私も敢えて見ないようにしている。
でも、気になる。すごく気になる。
それは、子供たちが毎日使うベッドだから。
もしネジが足りないまま組み立て作業をして適当に終わらせたとしたら、そのベッドは使っているうちに何処か想定外の強度になっていたりしないだろうかと。分かりやすく言えば、どこかのネジが無いせいで、上のベッドが落ちてきたりしないだろうかと。それによって、上に寝ている息子が落ちてきてケガしたり、下のベッドに寝ている娘が下敷きになったりするのは困る。
最終的にネジが見つかったのかどうなのかは分からないが、彼らの話し声はちょこちょこ聞こえてくる。何やら楽しそうに作業をしている。
和気あいあいとした現場と言えば聞こえは良いが、依頼しているこちら側からすれば「不安」しかない。
実際のところは分からないので本当に失礼なことを言ってしまうが、ネジの行方に関するつぶやきのおかげで、こちらとしては「この人たち、ちゃんと組み立てしてくれているんだろうか」という思いが拭えないままだった。その後の楽しそうな雰囲気も、こちらにしてみれば「仕事を適当にこなすような人々」のイメージがついてしまった。
結局、工事は1時間程度で終わり、出来上がったベッドを見せてもらったところ、実にしっかり組み立てられていた。文句がないくらいに綺麗だった。
ように見えた。ただ、実際のところは分からない。「途中、ネジ無かったみたいですけど、見つかりました?」と訊くことはできなかった。
最後はもう業者さんを信じるしかなかった。私はモヤモヤを抱えたまま、作業完了の確認欄にサインをした。
今回のことで切に思ったことは、家具に関しては、安全第一が一番だ、ということ。やっぱり家具は、人が使うものだから丈夫であってほしい。
そして、人が誰かに何かをお願いしてやってもらう際には信頼感が大切、ということだ。
私が安易に格安家具店で買うと決めなければ・・組み立てをお願いせずに自分でやっておけば・・などと思ってしまった。
もちろん、その家具屋さんに非は無いだろうし、業者の方も精一杯作業をしてくださって、誰が見ても文句ないクオリティの出来上がりになっていたように見えた。けれど、少なくとも私には、一旦不安な要素が見えてしまって以降、それが払拭されなかった。ずっと不信感は残ってしまった。きっと私の気にしすぎな部分が出たのだろうとは思う。
しかし、今後、少々値が張る家具を買う際には、別の家具屋さんも検討に入れようと思った。もちろん高ければ安心というわけではないことは分かっている。安かろう悪かろうという言葉もあるが、そのことを言いたいわけでもない。
だが、今回のようなケースでは、「安さ」という、本来は十分に大きいメリットに思えることが、ほんの些細な懸念によって、私にとっては見事に裏返しの結果になってしまったと感じてしまった。
どうしても私には「どうして安いものを選んでしまったのだろう」「もっと高いお店で買っていたなら、組み立てしてくれる人のことを信用できたかもしれない」とか思ってしまったのだ。
そんな卑しい気持ち、浅ましさを、私の中に見つけた出来事であった。
実は、今回の件は記事にするつもりはなくて、胸の内に秘めておこうと思った。
そんな時、フォローさせていただいている すうちさんが、このような記事を書かれていた。
https://note.com/sa10youch/n/nb4cf0e0d1373
こちらの記事の中では、工事業者の方のお話があまりに丁寧すぎて、それが過剰なサービスのように思えてモヤモヤしてしまった、という出来事が紹介されていた。
私はこの記事を読ませていただいて、今回、我が家に来たベッドの組み立て業者の方とあまりに正反対の対応であったため、色々と思うことがあったのだ。
すうちさんの記事に登場したような、「結論ではなく、まずは実績や詳細について丁寧に顧客と対話を重ねる」という業者も居れば、私の記事に出てきたような業者も居る。その業者を、良いと思う顧客も居れば、不快に思う顧客も居る。
それなら、私が note を続けている目的として「新鮮なうちに思考を瞬間冷凍して保存しておく」というものがあるが、今回のような出来事も記事にしておくことで何かしらヒントになることもあるかもしれない。そう考えて、記事にすることにした。
上にも書いたが、私も仕事上は、提供する側に回る。消費者ではなく、供給者側として、プロとして、どのようなスタンスで仕事に取り組むべきか。そのヒントを、気付きを、少し得たような気がするのだ。
安全性の定義。
顧客への信頼感の提供方法。
費用の高い安い(その根拠と納得感)。
無駄話の要否。
作業の取り組み方。
もちろん、たった一つの選択肢を決めればそれで十分というわけではない。すべてのお客さんに対して自分の方法を一つだけ貫くというスタイルも可能ではあるだろうが、私のような凡人にとっては困難だ。多種多様なお客さんに際して、サービスを提供する立場として、どういったアプローチの方法をとるのがベストになるか。ケースバイケースでそれを考え、それぞれのパターンにマッチした方法で仕事をすること。
何とも、今回は勉強になった。
なお、最後に一つ断っておく。
私は別に、特定の家具屋さんを批判したい気持ちは一切ない。作業に当たられたのが、たまたまその店舗が提携している業者さんというだけだ。その業者の方も、たまたま私が途中経過に揚げ足をとっただけで、仕上がり自体に問題はない。仮にこれが別の家具屋だったとしても、不誠実な対応をされることも当然あり得るし、もっと言ってしまえば、私以外の人にとっては別に、不誠実でも何でもない、何のことはない「普通の」対応であったりするかもしれない。あるいは、高い家具屋に行って、同じような対応をされたとしたら、またそこで違った受け取り方をして、何か別の感情が湧き出てくる可能性もある。
つまるところ、今回は、私は自分を責めているだけ。
そして、自分の反応を見ているだけなのだ。
自分を責め、見つめ、そして再発防止に繋げる思考をするだけだ。
なぜこんな安いお店で買った。なぜ組み立てをお願いした。
正直言って、後悔はある。
けれど、その当時の選択肢を、今になって後悔しても仕方がない。
じゃあ別の店で買えばよかったのか。組み立ては自分でやればよかったのか。そのような「仮定」の話には、傷を癒す多少の効果はあったとしても、未来に繋がる生産性はほとんど無いのだ。
やるべきことは、次に繋げていくだけだ。
他責ではなく、あくまで自責として問題を一旦片づけたうえで、今後のアクションの指針を決めるために具体的なロジックに落とし込むだけ。次に別の家具を買う際は、どうするか。同じ店か、違う店か。どのような家具ならよくて、どのような家具ならそこで買うべきでないか。条件をあらかじめ想定して、設定するのだ。とにかく、若干の後悔はしつつも、前を向いて次の行動をとるしかない。
それこそが学びなのだと、私はそう考える。
また、その出来事を一つ、仕事上の教訓とすることもできた。
家具を買うという個別の事案から抜け出して、もう少し俯瞰して全体を見てみる。需要と供給という仕組みとして見たときに、そこに自身を投影してみる。自分だったら、お客さんに対してどう振舞えば、少しでも安心してもらえるか。今回のことで、それを考える良いきっかけを頂いた。だからむしろ感謝すべきことかもしれない。
学びがないこと。成長がないこと。そうなりたくはない。
自分を、更新し続けていくこと。
私のような極々平均的な人間が、今のこの世をサバイブしていくためには、多分それが大事であり、もしかしたら必要不可欠なことかもしれない。良いヒントを学んだ。おわり。