ボーッとする時間の話。

先日、知り合いと飲む機会があった。

仕事終わり、東京の月島で飲む約束をしていた。飲み相手の一人に贔屓のもんじゃ焼き屋さんがあるそうで。

しかし、直前になって、私以外の全員は仕事で遅くなるとの連絡が来た。まあ中止になるわけではないし、文庫本は持参しているし、気長に待っていればいいかと自分に言い聞かせる。

さて、とは言うものの、この辺りではどこでどうやって時間を潰せばいいか分からない。普段、月島で飲むことは無いし、何なら月島駅で降りたことも人生で片手で数えて余るほどしかなかった。しかも、約束の時間より30-40分前に到着してしまった。

ひとまず、月島駅から勝どき方面に歩いてみる。タワマンなのか背の高い建物が目に飛び込んでくる。私の住む町にはこんなに高いマンションなど無い。そもそも、ああいうところに住む生活が想像できない。私ももう少し受験勉強や就職活動を頑張ったら、そういう生活ができたのか。

そんなくだらないことを考えて歩いているうちに、小さい橋を見つけた。月島橋というらしい。橋の近く、川沿いの道を歩くと東京湾特有のヘドロに似た匂いがする。あまり言いにくいが、私はこの匂いが好きだ。

少し歩くとベンチがあった。ああ、ここで座って本でも読もう。そう思ってベンチに腰掛けてポケットから文庫本を取り出す。

が、ベンチに座って目の前の風景を見ていると、なぜだかページを繰る手が止まる。何があったわけではない。目の前の川。その向こうに見えるタワマンなのかのビル群。夜の中で煌々と光る。

約束の時間まで、それらを眺めてボーッとすることにした。本を読んでも良かったが、なぜだかボーッとしたかった。意識的にボーッと時間を過ごしてみたかったのだ。

何を考えるというわけではない。何もしないのだ。敢えて言うなら、ボーッとすることをする。

あっという間に約束の時間が近づいた。私は1ページも進んでいない本をズボンのポケットに仕舞い込み、飲み会のお店に向かった。

いつもなら時間の有効活用として読書などしていたが、敢えて何もしないのも良いかもしれないと思った。たとえるなら頭の中がリセットされるような。束の間の時間だったが、そのような効果を感じた気がした。つづく。

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