好き嫌いではないと思うからこその話。
少し仕事の話。
とある事情で、全社的にあるサービスの導入を予定している。いくつか競合他社というか、選定しようと考えている業者が居るのだけれど、紆余曲折あって二社まで絞り込まれた。
私は所属する部署の毛色の関係で、割とオブザーバー的な立ち位置でその選定の打ち合わせの場に参加していた。だから、直接的には決定権は無い。というか、意見を求められたら言うけれど、私は積極的に発言はしない。
なぜか。それは私が、そのサービスの導入に内心納得が行っていないからだ。
だから、大人の事情で仕方なく会議は参加しているけれど、正直言って別にこのサービスの導入をどうしてもやりたくて仕方ないわけではない。むしろやりたくない立場だ。
そりゃ会社全体から見れば、至極真っ当で大変意義深い取り組みだと思うし、試算した資料を拝見すると、効果としても恐らく高いものが期待できるでしょう。だが、それはそれだ。私個人は特に賛成はできないが、組織に属する人間としては反対もできない。そこはオブザーバーという立場を隠れ蓑にして、あまり大きな声を上げないように自制している。
「別に会社のためになるならそれでいいじゃん」という意見も分かる。私も頭ではよく分かっているつもりだ。会社のためになることであれば、結果的に従業員である我々のメリットにもなる可能性が高い。
ではなぜ、そこまで気が進まないのか。
それは、その選定の候補先の業者が、いずれも「何となく好きになれない」からだ。
どうだろう。この子供みたいな理由。でも実際そうなのだ。
一社は洋風かぶれで自社のサービスをまあ自画自賛して、よく分からない横文字の言葉で捲し立てて、アレやコレやと要らんオプションを山ほど付けようとしてくる。しかもよくよく聞けば中身は複雑で、色々な面からとても運用に耐えられるとは思えない。そして傲慢で上から目線。良い言い方をすれば、それだけ自社のサービスに自信があると言えるだろう。だが、あまりに強引だし、何が何でもイニシアティブを取ってやろうという強い意志が見てとれる。そんなに鼻息荒くして全部やろうとして「本当に大丈夫?」という感じ。それは裏を返せば本気で弊社のことを考えてくれていると捉えることも可能だ。まあそう考えれば悪くはないんだろうが、どうにもその熱量を怪しく思って、大きな温度差を感じてしまう。
もう一社は、非常にやる気が無い。そして態度も良くない。まあサービス自体は実績多数なので品質も悪くはないのだろう。しかし如何せん「本当に大丈夫?」という感じだ。上で書いた「大丈夫?」とは違う意味での「大丈夫?」だ。よく分からないが。もっと言うと、対応してくれる内容がかなり限定的で、ちょっと全社的な効果は薄い見込み。悪い点ばかり書くとフェアではないので良い点も書くと、こちらは使いやすさで軍配が上がる。と私は思っている。サポート体制も悪くなさそうだ。費用面でもかなりお得ではある。ただ、こちらは良い意味で「決められたことはキッチリやります」という反面、「いやそこはウチの守備範囲じゃないんで」ということを平気で言う。それはそれでビジネス的には致し方ない。
というわけで、どちらも一長一短。そしてどちらも、私にとっては「何となく好きじゃない」のだ。この感情が、予感という形で現実に良くない結果に繋がらなければそれでいいのだ。杞憂に終わればそれでいい。
もちろん、好き嫌いで仕事をするわけではないし、その成果が決まるものでもないことは十分知っている。当然、どちらかの業者が選ばれたとしても「嫌いなんで、私は手伝いません」と言うつもりもない。最終的には偉い人たちが決めることで、GO と言うなら、その方針のもと突き進むほかない。サラリーマンだからだ。上でも書いた通り、私に決定権は無い。下っ端サラリーマンだ。好き嫌いは、腹の下に捩じ込んで、あくまでビジネスライクに、ドライに接するだけだ。
「好き嫌い」で言えば「嫌い」だ。最初からマイナススタート。だからこそ、「好き嫌い」を超えたところで、どこまで仕事として結果が出るのか、今のところはその辺りを注視していこうと考えている。
そんな、独り言でした。