「助長」という言葉の意味の話。
タイトル通りなのだが、今読んでいる本で、「助長」という言葉について書かれていた。
それによれば、助長とは、現代では「悪い傾向を強める」といったような否定的な意味合いで使われることも多いが、そもそもの原典では少し違うという。元々は、「結果を出すことを焦った結果、余計なことをして事態を悪化させる」といった意味だったそう。
なるほど、調べてみる。
これだけだと、私のポンコツな頭では理解できない。というか、そもそも読めない。
というわけで、書き下し文と現代語訳の例を見つけることができたので、勝手ながら引用させていただく。今回の記事に関係あるところだけ抜粋。
なるほど、たしかに余計なことをしている。苗の成長が遅いからと言って心配するあまり、自分で無理矢理その苗を引っ張って伸ばそうとしてしまったわけだ。そのようなことをすれば、当然苗がダメになって枯れてしまうと。
そして、それだけでは「まぁ当たり前だよね」という結論だけれど、その続きに、そうやって「苗を引っ張るのはダメ」だし、かと言ってその反対に「何もしないで雑草を生やしっぱなしにするのもダメ」と書いている。
良かれと思って余計なことをするのも良くないが、じゃあ放っておけばいいということでもないらしい。バランス感覚が大事なように見える。
・・・これ、何かに似ているな。
ああ、そうか、子育ても似たところがあるかもしれないと思った。
いくつかの記事にも書いているように、私は心配性で、子供に対しても過保護で過干渉な性質がある。本当は良くないと分かっているのに、つい口を出してしまう。息子や娘が道を踏み外さないように、失敗して傷つかないように、と、アレコレ気を回したり、茶々を入れてしまうのだ。
けれども、自分でトライしてエラーにぶつかり、さらに立ち上がってまたトライする、ということは子供の成長にとって圧倒的に大きな意味があるはずだ。余計な口出しや、必要以上のフォローなんていうものは、その機会を奪っていることに他ならない。
これぞ、原典にあるような「助けて長ぜしむる」つまり「助長」であるわけだ。
ここは、グッと我慢し、言いたいことがあっても抑えてみる。他方で、原典にもあるように、完全に放置もしない。手助けが必要なところを見計らって、必要なケアはしてあげる。
何とも難しいけれど、子供が自分で立って歩いていくための成長のためには、親としてそのバランス感覚でもって子供に接することは、きっと大事なことなんだろうと思う。
あくまで、本当に必要なことだけ。「左手は添えるだけ」的な。そんなことを思った。おしまい。