働きにくいからだ


雨かもしれない、雨なら3日


かわいいね

欠勤が続いたという理由で、シフトを減らされてしまった。

減らされてしまったわけではないのだけれど、「体が第一だしね」と言われてしまうとしょうがない。というか、迷惑をかけている自負があるので、「いいえ、がんばります」とは言えない。

ただでさえ、お金が足りない。年金は控除を受けているのにいつもぜいぜいで払っている。奨学金だって猶予をとっている。そんなぎりぎりの状況なら、もっと働けばよい話なのだが、勤務先を増やしたところで、同じことになるのはわかっている。

もっとごりごり働ければよいのにと思う。もっと体力があれば。体調がよければ。しかし、現状「うつ病」として通院する身にはなかなか難しい。

生粋の頭痛もちである。小学校のころから頭痛薬を持ち歩いていた。みんなそんなものだろうと思っていたが、そうでもないらしい。高校のときは模試が受けられなくなるほど頭痛が激しくなり、社会人になればほとんど毎日頭痛薬を飲んでいた。そんなことは普通ないらしい。

それが私の普通である場合、どうやってみんなと同じように働けばよいのだろう。どうやって収入を得ればよいのだろう。

そして、いざ仕事が本当にできなくなって、周りを見渡してみると、そんな人がたくさんいることが見えてきた。どうして、体が丈夫でなければ標準とされている収入が得られないのだろうか。ずっとお金がない。

しかし、正規で働いている私の夫も常にお金がないと言う。生活費のほとんどを負担してもらっているせいはあると思うが、それでも、やはり私たちくらいの世代はまずデフォルトでお金がないのかもしれない。

それでも、自分の体がくやしいと思う。どうしてもっと働けないのだろう。職場の期待に応えられず、やむなくシフトを削られてしまう。お互いにとって不利益。努力をしていないわけじゃない。はずだ。でも、私だって好きで仕事を休んでいるわけじゃない。くやしい。くやしい。

だから自分に合った働き方を考えているのだ。それはそうなのだけれど、社会一般が求めている「働く」という姿を、かなえられない自分が大嫌いになる。

どうやって働いたらいいんだろう。どうやったら、年金も保険料も、満足に払えるようになるんだろう。自由なお金が手に入るんだろう。そんなことばかり考えて、大事なことを見落としてしまう。体が第一とは言うけれど、こんなたりないからだでどうしたらいいんだろう。

今はそればかりが悔しくて、もっと楽しいことがあるはずなのに、働けないことばかり考えてしまう。

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