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死を意識するということ(バックパッカーになるという決意)

フリです。

本日は、

「死を意識するということ」

というタイトルだ。

少し重いタイトルだが、僕の過去や本音を含め、
いつもとは違った発信になるが最後まで読んでいただけると幸いだ。

読んでいていい気分にはならないかもしれないが、
あなたの心に何か少しでも響くことがあるのなら嬉しく思う。


心の奥底は孤独である

僕は根本のマインドが超絶ネガティブである。

僕には本氣で友人と呼べる存在は片手の指に収まるレベルで少ない。
いやむしろ、5本指を曲げる状態にもならないだろう。

そんな自分がまともに友人という存在を作れて、
関わっていたのは自分が高校生の時までだったと思う。

僕は大学に進学まではしたが、3年時に最も仲が良くいつも僕のことを
気遣ってくれた友人が中退した。
それに伴い、僕の中で友人という存在が大学から消失し、
僕は完全に孤独になった。
大学でも、基本的な講義は会議形式なので、誰とも関わらなくて済み、
誰とも関わらなくていいのかという安堵と誰とも関われないという寂しさが交錯していた。

それ以来、僕にとっての大きな友人というか信頼できる唯一のものが出来た、

「お金」である。

大学時代に同学年の人間たちから粗末な扱いを受けたことで、
他人を信用したり、まともに関わるということに対して気疲れと面倒臭さを感じてしまっていたので、お金がそれを解決してくれたように思う。


人間関係の気疲れ

読者の皆様は、普段学校や職場、仕事などで様々な方々と関わる中で
人間関係で気疲れすることはあるだろうか。

僕は大学生になって、学業の傍らアルバイトをするようになり、
そして社会人になってから人と関わる中で人間関係の気疲れが起きるようになってしまった。

また、僕自身大学4年時ながら貯金していた約42万円を失うという大きな出来事があり、それとともに他人を信用することとお金を使うことへのブロッキングが強く働くようになった。

本当は人と心から向き合って関わりたいのかもしれないが、
人と深い関わりをしようとすると気疲れしてしまう。

人間関係というものは複雑であり、また面白いものだと思う。

僕は心の奥底では常に孤独であると思っている。人とは対面であまり関わりたいとは思わない。

鬱病の発症

僕が初めて鬱病を発症したのは大学4年時に約42万円を失った出来事が1回目だ。
2回目は、僕が社会人2社目で仕事で大きなミスをしてしまったことや
職場での人間関係でメンタルをやられ、鬱病のような状態になってしまった。
3回目は、前職で福岡県におり、新店舗の立ち上げに携わっていた際、
仕事のことで上手くいかないことがあり、自分を追い詰めすぎてしまい、
鬱病になってしまった。
4回目は、現職で自分の責任不足で大きな失敗をしてしまったこと、そして予期せぬトラブルの頻発による自己非難をしたことによるものだ。

僕は基本的に超絶ネガティヴで、メンタルを病みやすい。
何か自分にとって大きな出来事やマイナスな出来事、失敗があると
頭の中で自己非難を繰り返し、頭の中で交錯してしまい、自分を責め続ける傾向にある。

それが鬱病を引き起こしているのだろうと思う。

鬱病=甘え
と考える人がいるかもしれないが、鬱病は決して甘えなどではない。

鬱病の人にさらにネガティヴや攻撃的なこと、
応援などは一切無意味である。

誰しも鬱病になりたくてなっているわけではないという
ことは先に断っておこう。



鬱病から自殺願望へ

僕は鬱病および鬱病のような状態になっている時、ふとした時に
とある願望が出て、考え込んでしまう。

「自殺願望」である。

これを聞くと読者の皆様は驚かれるかもしれないが、
自分が抱え込んで思い詰めてネガティブになっている時、
「死ねたらな」「死んだ方がいいな」「自分は生きている価値なんてないな」
という様に思うことが頻繁にある。

僕は4度鬱状態を経験し、毎回この自殺願望が出てきてしまう。

僕自身、おそらく将来は短命かもしれないが、
海外でお金を全て使い切って、
自分の行きたい場所や国、景色を見終えることが出来るのであれば、
死んでもいいし後悔はないと思っている。

自殺を考える方は、心から優しく人の痛みが分かる方だと思う。
人の心を深く理解し、人を傷つけない様に、
人の為に行動できる素晴らしい方だ。

そんな人が自殺したり亡くなってしまうというのは本氣で悲しいことだ。

自殺者が出ない優しい世界を実現できたら最高だと心から思う。

誰でも生きやすい最高の世界になりますように

世界を巡りたいという心からのゴール

僕は前職で鬱病になり、ふとした時にこんなことを思った。

「もし死ぬんだったら、お金はいらないから全部お金を使い切って死にたい。」

「今まで貯金してきたお金全部使い果たして、ヨーロッパとか色んな国に行き続けたい。」

この2つが僕の心の中から出てきた。

前職のこの出来事がきっかけで僕の中で大きな人生のゴールが生まれるという
瞬間であったと思っている。

ここで僕自身、改めて世界の色んな国を巡ること(特にヨーロッパ各国)が
死ぬまでにやらないと後悔することなんだと氣づくことが出来た。

社会人になって毎月一定金額を貯金し、家計簿をつけ続け、収入の範囲内で
ずっと生活をし続けてきた。
それとともに、お金はあるけど、やりたいことや心からの趣味というものが
なく、休日は適当にどこかに出かけたりぶらぶらすることが多かった。

ただ今振り返ると、自分の貯金を使って国内や海外旅行、その他にも様々な経験をお金を使って行うことでお金の大切さや使い方を学んだり、自分の経験や知識の幅を広げることが出来た。

海外を巡り、そこでお金が尽きてしまったとしても、
生きている以上なんとでもなるだろう。

どんな手段を使っても生き延びることが出来るだろうし、
人生はいつ何度でもやり直せる。

僕は今26歳である。
世間的にはまだまだ若い。

僕自身もまだまだ体力や氣力は十分ある。

とにかくやるしかない。

いつかこの写真のようにバックパッカーとして最高の景色を見ることが僕の願望でありゴールだ。

バックパッカーになるという決意

僕は今年の6月に現職を退職し、バックパッカーとして世界を旅する。
収入がない状態で世界を巡るということは不安やドキドキと共に、
ワクワクもある。

海外に行き続け、しばらくは日本に戻ってこないだろう。
日本というコンフォートゾーンを離れるので自分がどうなっていくのか、
バックパッカーとして生活している時の自分はどんな状況なのだろうか。

今年は全く予想がつかないが、それとともに大きな経験が出来ることも本氣で楽しみにしている。

僕にとって、
バックパッカーになることとは

「自分の命を本氣でかけるに値すること」

「自分の命を本氣で削ってでもやらないと後悔すること」

「自分にとっての使命」

であると思っている。

まさに、「お金を全て使い果たし世界の様々な国や地域に行く」
ということは僕にとって、

「死を意識すること」であり、

「死を意識したうえで行動すること」

である。

そのぐらい僕の中では思いが強いものである。

心からのゴールを達成した先にこのような景色が見えるのだろう。

バックパッカーとして旅をするにあたって

僕はバックパッカーになり、様々な国や観光地などを巡りたいと思っている。
そして最高の景色を見たい!
例えばだが、

  • ヨーロッパ(フランス、イギリス、イタリア、ギリシャ、オランダ、ドイツ、ジョージアなど)

  • ピラミッド(エジプト🇪🇬)

  • カッパドキア(トルコ🇹🇷)

  • オーロラ

  • デュラ村(カメルーン🇨🇲)

  • ベトナム🇻🇳

  • タイ🇹🇭

  • ウユニ塩湖

死ぬまでには全て必ず行ってみせる。

そして、僕の中でバックパッカーとしての使命もある。
それは、

  • 紛争地帯の現状を世界へ発信すること。

  • 発展途上国の現状を世界へ伝えること。

  • 海外に行きたいが一歩踏み出せない日本人を、自分の行動を通して海外に行けるように後押しすること。

  • 日本人が死ぬまでにやりたいこと、死ぬまでにやらないと後悔することを発見できる様なヒントを与える存在になること。

である。

まだバックパッカーとしての活動が始まってはおらず、これからだが、
将来の希望や可能性は大きい。

今後が楽しみだ!


最後に

あなたの中には心からやりたいこと、死ぬまでにやらないと後悔することはあるだろうか?

ある人もいるかもしれないし、ない人もいるだろう。

急に言われたら自分の心からやりたいことや心からのゴールが分からない
という方も多いかもしれない。

そんな時は、自分の「死」に向き合い、
「死ぬ時」の状況を想像してみるといいかもしれない。

今回は僕の本音や普段人に話さない想い、
僕の過去を含めた内容であった。

特に自分の過去の部分も含めた内容だが、
それでも心から自分が思っていることを本氣で書いた。

少しでも皆さんの心に響くことがあるのなら最高に嬉しい。

明日僕たち一人ひとりが必ず生きているという保証はどこにもない。

なら今この瞬間を一生懸命に日々を生きよう。
一度しかない人生だ。

悔いのない最高の人生を生きよう!

万里の長城からの一枚。 今日も最高の1日に!

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