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ひとつなぎの木の下で(8)

*お金からの開放がテーマの短編小説です。全9回、連日投稿いたします。

8 お金の呪縛からの解放
 
 木下さんは勢いに乗って溢れ出てくる言葉を矢継ぎ早に続けていた。
 
「まだまだありますよっ!今の話の応用です。私と磯崎のような友人関係は家族にとてもよく似ているチームですし、会社の新規プロジェクトチームだって目的に向かってお互い助け合わなかったら失敗してしまうし。工事現場なんかも各業者の役割がはっきりしているチームで仲間ですね。学校のクラスだって、サークルにしたって、ある目的を持っている[チーム]と言われるようなところには必ず価格のない協力体制があるはずです」
 
「人とのどんな小さな関わりであっても、そこにはなんらかの目的に向かう[チーム]が存在していると…?」
 
「そうです、その[チーム]の仲間たちはいくらか貰えるから協力するんじゃなくて、目的達成をみんなでしたいからタダでも協力し合えるんです。自分のいる[チーム]の本来の目的はなんなのかを考えれば自分の役割だって見つけられるはずです。そこには意見の違いなどはあるにせよマウントの取り合いなどあり得ないんです。
 そして、たった一人だったとしても社会との見えない関わりがあるのですから、そこには常に社会という[チーム]の一員であるという自覚が必要でしょう。その根っこにあるのは[信頼]です。よく、お金は[信用]と言われますが目的のために集まったメンバーの利他的な働きには必ず[信頼]があるんです」
 
「一番小さな[チーム]は社会の一部である自分自身…個人ということですか?」
 
 こうなると、社会から孤立しているように見えるニートの若者や病院の寝たきりの老人、ホームレスですら社会との接点が発生しているチームの一員とも言える。この話から誰もが孤立しているわけではなく、必ず役割があることになる。もれなく全ての人間に生きる希望が見えてくるのは私だけだろうか。そして木下さんの言うチームの本来の目的とは[お金]ではないことは間違いない。
 
「そういうことになります。私たちは全員、生まれたその時から死ぬまでピッチに立ち試合をしているチームメイト、仲間なんです。誰とも何とも関わらずに生きている人などいないということは自明の事実なんですから」
 
 我々はマウントの取り合いの中で他(た)に対して仲間意識どころかむしろ無関心に陥り自らを孤立させていたのかもしれない。
 あの人と自分は違う、あの国と自分の国は違う、そんな風に壁を作って狭い世界に独り閉じこもってしまっていたのではないだろうか。
 木下さんは目的達成をみんなでしたいからお金は介在しようがないと言う。同じ目的、ゴールを目指す上では自他の[違い]などはなんの障害にもならずむしろ逆に可能性は拡がるようにも思えてくる。
 サッカーで言えば各国の代表チームの中には肌の色、言語、文化などひとりひとり全く違う様々な個性で自らの力を発揮しているチームもある。
 昨今、多様性という言葉がよく言われるが、こういった代表チームのように同じ目的に向かう中で個性の違いを越えた無所得の協力体制のことを指す言葉だろう。多様性とは決して各々が好き放題勝手に振る舞うことではない。
 
「生まれた時からピッチに立っている…試合中の仲間…」
 
 目まぐるしく様々な考えが巡ってくる中で、木下さんの言葉をおうむ返しのようにつぶやいていた。
 
「田宮さん、それから最後にですね、この地球上で最大の[チーム]が展開されている[チーム]があります。それは自然界というチームです。これは忘れてしまいがちなんですが、この自然界の中で暮らしている私たちもそのメンバーなんですよ。それは家族のような一つの大きな[地球というチーム]なんです。
 あまりにもスケールが大きくてイメージしづらいと思いますが。それをサッカー以外のものでわかりやすく例えれば、昔、宇宙船地球号という話をしていた人もいたくらいなんです。まさに一つの地球という宇宙船に乗っているクルーが私たちなんです。しかし、クルーであるはずの私たちは私たちの宇宙船の自然環境を破壊し、空気を汚染し、水を汚し…」

 木下さんの声が遠のいていく…なんだろうか、この気持ちは。私は心地良さすら感じる脱力感の中で、心ここに在らずの状態で中空を見つめていた。 すると天使と悪魔が両耳から囁きかけているのが聞こえた気がした…。

<悪魔> 宇宙船地球号?そんな非常識な世界、出来る訳ないだろ?現実を見ろよ
 
<天使> もう大丈夫。あなたはすでにわかっているわ、本来の価値観に触れたんですもの。
 
<悪魔> おまえ、まさかこんな世迷いごとを信じるほどバカじゃないだろうな

<天使> あなただって、人の暖かさに触れたことがあるから感じているわね、この真実を。

<悪魔> おいおい、ふざけるな!おい!頼むから目を覚ませ!お〜ぃぉぃ〜…
 
<天使> あなたのその心はもうその世界を選んでいるわ
 
 
 木下さんの声が遠くから大きくなって私の意識を呼び覚ました。
 
「田宮さん、田宮さん!大丈夫ですか!?」
 
「はぅぁあっ!やばいやばい、ボーっとしてしまいました」
 
「ああ、よかったです。どうかしちゃったかと思いましたよ」

「すみません、今の話がちょっとあまりにも目新しいものだったので。いろいろ考えが津波のように押し寄せてきて意識が飛んじゃいました…。ちょっと息を整えます。ふぅ」
 
 深呼吸をし、落ち着いて一回、咳払いをする。
 
「木下さん、ひとつ質問なんですが。私の記者として専門としているのは闇金や借金苦などのいわゆる醜い欲望が渦巻いているような世界です。そんな世界の住人を目の当たりしている私にとってはそのOne for All,All for One.の精神の世界はおよそ現実とはかけ離れていて実現不可能なように思えてしまいます。我々がそういう心境になるには相当ハードルが高いかと思うのです。でも木下さんはそのハードルを越えたわけですよね?どうやって超えることが出来たのですか?そこのところぜひ聞きたい」
 
「田宮さんはそういう取材を専門とされているんですね〜、それは大変なお仕事ですね。それは確かにハードルは高く感じちゃいますわ」
 
「はい、正直なところあの界隈の人間は普通の人たちよりハードルは高いでしょう。普通の人だってなかなか越えられるかどうか…。いや、これはむしろ、私が聞きたいくらいなんですよ。どうやって、木下さんがそれを越えられたのかを」
 
「はい、わかりました。ご存知の通り、磯崎に会ったあの時から私の心境は様変わりしました。それから毎日、街行く人々の姿を注意深く観察したんです。そして日常の中にある人々の働く姿や人生を見つめて私は気づかされたんですよ。私独りの力では何もなし得ていないんだ、ってことを。
 つまり、どういうことかというと、今はこうやってタクシーを運転させてもらっていますがこのタクシーは私が作ったわけではありません。この制服もこの道路もこのコーヒーも。何一つ私は作ってはいない。
 どこかの誰かの働きのお陰で私は今こうして田宮さんと同じ時間を過ごせているんです。当たり前だと思っていたことは実は当たり前じゃなかったということです。
 そうですね〜例えば…あの世界を巻き込んだパンデミックを思い出してみてください」
 
「あのコロナ禍をですか?」
 
「はい、あのコロナ禍ではエッセンシャルワーカーの方々に感謝する姿があちこちで見られました。それと全く同じことなんです。私たちは大切なものを日々の中で見落としているんですよ。
 足りていないと思っているのはお金だけで、その他のものはお陰様ですべてすでに足りていたんです。
 私はどこかの誰かの働きのお陰に気がついた時、たくさんの人たちの存在が社会をまわしているのがはっきりと見えました。そこは One for All,All for One.の精神に満ちている世界だったんです。みんながその精神で繋がっているのがこの世界の本当の姿なんだと感じたんです。そして…」

「ちょっとまってください。誰かのお陰で私たちひとりひとりは生きているんだと。それは All for Oneのことですね。そして木下さんがその先に言いたいのはOne for All。一人はみんなのために生きる。家庭の中のお母さんのように」

「そうです、田宮さん。その通りです。もちろん私一人の力は大したことはありません。家庭の中のお母さんのようなみんなのために出来ることなんてありません。
 でもお陰様の気持ちが湧いてきた時、身近な人たちの助けにはなれるのではないか、いや、助けになりたいと強く思ったんですよ、何か気恥ずかしいですが沸々と湧いてくるんです。大したことはできなくても日々の中で身近な人たちにほんの少しの贈り物ならできる。
 なのでたくさんの人と出逢えるこのタクシーの仕事はとても気に入っています。私にとってお客様は身近な人ですから。お陰様で田宮さんにもお会い出来ましたし」

 お陰様の心境?信頼?どうすればそんな気持ちが湧いてくるのだろうか?価格など本来ないものだとか、チームだとか、クルーだとか言われても理屈はわかるが、それを聞いただけでは正直そんな心境にはなれそうにない。なぜなら未だ私たちはいとも簡単にお金という交換ツールを欲の心で権力とも言える[力]として使ってしまう幼い精神性のままなのだ。
 このハードルはやはり非常に高いように思える。しかし木下さんがこのハードルを越えた成功例として、生きていく上で日々心掛けている何かがあるはずだ。それこそが私の専門としているような凄惨な事件や争いがこの社会から消えていく一筋の光のようにも思えた。

「木下さん、One for All,All for One. の精神の社会のベースにはお陰様の心境があるのはわかったのですが、

結局、私たちはどうすればいいのでしょうか?
 
単にお陰様と思うだけで社会はチームになるのでしょうか?

無理やりそんな心境にしたところで、表面的なことだけに終わってしまわないでしょうか?

 自然とその心境が湧いてくるようなライフスタイルが何かあるはずです。

私たちはどのように生きていくべきなのでしょうか?ズバリ!木下さんが変わることが出来た、日々心掛けるべき生き方とは!?」

 あと一歩で届きそうで届かない感覚に、次から次へと疑問が湧いてくる。
 
「はい、意外に思われるかもしれませんが、それは誰でも今からでもすぐに出来るとても簡単なことなんです。それは、
 
[お金中心ではなく、人間性を中心に人との繋がりを大切にする生き方]
 
 私はこれを日常の中で意識して心掛けていったんです。そして徐々にですがこの世界観を実感して行きました。もちろん完璧に出来ているかと言われれば嘘になります…。でも、私はこの生き方によってお金の呪縛から解放され、まるで長いトンネルを抜けたような開放感があります。
 なので今の私はチームの仲間に囲まれているサッカー選手のようです。過去の私は気付かぬうちにお金を中心に生きていたので孤独でした…。
 生きていく上で優先する順番がいつの間にか違っていたんですね」
 
「徐々に実感…ですか…。しかし、今おっしゃったその心掛けの内容があまりにシンプルすぎて、何か当たり前のようなことだったので少し拍子抜けしてしまいました」
 
 しかしこの拍子抜け感はつまり[我々はこんな当たり前のことが出来ていない]ということの証拠だ。お金の力に目が眩み、生きていく上での優先するものを[お金]に設定してしまっていたということだ。怖しいのは、気付かぬうちにそれが正義と言わんばかりに、そうしてしまっているということである。
 思えば、多くの事柄が採算が合わなければ何も出来ないということ自体が狂っている。そこに飢えに苦しむ人がいても食物は行き届かない。乾きに苦しむ人がいても水は行き届かない。それが必要なものであってもお金の採算が優先される。逆に採算が合えばどれだけ無駄に廃棄するとわかっていても作り続ける始末だ。
 我々は眩んだ目の焦点を正常に戻さなければならない。
 
「ハハハ、確かにシンプルですよね。だって実際にこの世界はシンプルに出来ているんですから。
 そうしたらですね〜田宮さん、ここで本当に幸せな家庭像を思い描いてみてください。大切な家族よりもお金を優先にしている家庭の姿はそこには無いはずですよ。家庭の本来の目的はお金じゃないのですから」
 
「はい。逆に不幸な家庭像は、ほぼ、もれなく世間体や財産などを優先し、子供の人間性を無視した親の姿が多く見られるような気がします。
 結果として怒りや憎しみの果てに精神病や自殺など惨憺たる顛末を迎えてしまう。そこまでいかないまでも不幸な家庭は家族がバラバラで人間の繋がりが希薄。チームとしてはガタガタでゴールなんて到底決めることは出来ないということですね」

「そうなんです。社会の中のあらゆるチームも同じです。地域や国もそれと同じはずなんです。この心掛けを最大限拡げたら最終的には地球全体もお陰様の元に一つの家族のように繋がれるはずなんですよ」
 
 マウントの取り合いからお陰様の心境へ。ものの捉え方が変わるだけで呪縛は解け、まるで世界の景色が変わる。
 木下さんの話は実に単純明快でお金がなんの意味もなさないシンプルな新世界を私の心に映し出した。
 人の繋がりを中心に据えた家族のような『地球というチーム』。

 そんな途方もないような新しい世界観が現実味を帯びて目の前に拡がっていた。人類はこのハードルを越えられるだろうか。いや、越えられると信じたい。

「木下さん、名刺ってありますか?」

つづく

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