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言葉の漂流先【10月】

つぶやくほどでもないけど言語化はしておきたくなった気持ちを少なからず不特定多数の人間が見るであろう緊張感を維持したまま放流したくなった下書き供養的な記事です。

※Xでポストしたのも含まれていますが備忘録として残しておきたいやつとかです。

記事とは関係のない門脇麦



自分の理解力や読解力が欠けていることは疑わず棚に上げ対象を文脈無視で短絡的に非難する連中はあまりに多い


クロちゃんが出演するトークイベントに行った。急遽開催が決まったイベントだったからか、意外にも40人弱ほどの客しかいなかった。大好きな芸人さんのひとりなので、チケ発をがんばり整理番号3番、最前で見た。面白くてチャーミングで頭の回転が速い凄腕芸人、そのイメージ通りだった。開場前と終演後、イベントとは関係のない時間の振る舞いも物腰柔らかで優しくて、ファンサービスも神がかっていた


「有吉弘行紅白司会決定」のニュースが嬉しかった。1度だけで切っていたら昨年がダメだったと言ってるようなものだから今年も続投だろうとは予想していたが安心した。毎月のように著名な芸人がスキャンダルや問題行動で退場を余儀なくされるなか、有吉さんの凄みのひとつは危機管理能力の高さだろう。何をどこまで言うべきかのラインを分かってる。自分の立場とシチュエーションと時代の潮流を理解している。アンチ含め、あの椅子から引き摺り下ろしたい勢力だって間違いなくいるだろうに尻尾を掴ませない。とはいえ必要に応じていつでも斬り刻める舌鋒の鋭さは健在。内P復活スペシャルやオールスター後夜祭、その前のXでの巡回、ラジオに至るまでその様子が伺える1ヶ月だった


あのちゃんのXはキチンと尖るときは尖って中指を立てることを忘れてないから見応えがある


無名の路上ミュージシャンが有名アーティストの曲を駅前で弾き語りしていた。ブルーハーツとかスピッツとかaikoとか。知らない人間が知ってる曲を、興味のない人々にとっても聞かざるを得ない環境でやる、このどこか薄気味悪い肌感はなんなんだろうか。立ち止まったり座り込んだりしてウットリ聴いてる連中もいる。下手するとオリジナルを知らない通行人が、弾き語りカバーをしてる人の「持ち曲」だと勘違いしてウットリ聴き立ち止まってるケースもあるのかもしれない。チャットモンチーとか斉藤和義とかエレカシとか。サラッとやられても気付かないZ世代とかはいるだろう。1曲だけやるならまだしも、延々と名曲カバーを演る路上ミュージシャンにはモヤる


「意外と空気読めないとこあるよね」って言われたときは「むしろめちゃくちゃ読むタイプなんで空気読めないなコイツと思ったときはあえてぶち壊しにかかってると解釈してもらって大丈夫です」と返すようにしている


アイドルにしろお笑い芸人にしろ、自分はこのひと(このグループ、このコンビ)の結局どこが好きなんだろう? なぜ応援してるのだろう? 時折りふとわからなくなる瞬間がある。謎の葛藤に襲われる。けどそんな不安定な気持ちを吹き飛ばすぐらいの実力を見せつけてくれるタイミングがあり、たいてい杞憂に終わる。そうやって実力で安心させてくれる存在だからこそ好きで居続けられるのだ


HUNTER×HUNTERを読み返し続けてしまう。冨樫義博はバイブル


これがなぜ伸びるんだってポストが意外と伸びて、ちょっとバズっちゃうかもな〜って下心があるのほど伸びなかったりする。バズってむずい


キャパ200規模のライブハウスを3〜5組の出演でなんとか埋められるかどうか、という位置にいるアイドルイベントに行くことが多い。曲もパフォーマンスもビジュアルも良くてSNSも告知も頑張っているアイドルグループって本当にたくさんいる。まさに多士済々の戦国時代。魅力と努力に見合っていない集客の現実を目の当たりにするので歯痒さを覚える。それこそバズるとか、ほんの少しのキッカケと運とタイミングの差なのかな。分厚い紙一重。お茶の間で知られるメジャーアイドルの大半がどれだけ事務所のバックアップや広告力や人脈、タイアップ等に恵まれているか分かる


でか美ちゃんはまだまだ過小評価されすぎ


美咲天馬・天馬さんの配信トークライブを観るのが毎月の習慣になってきている。彼は今年のでか美ちゃん主催のイベント「でか美祭」に抜擢出演していて知ったフリーの若手芸人。漫談が面白い才気溢れる芸人さんだ。遅かれ早かれ売れると信じている


パンダドラゴンというボーイズアイドルも今夏の「でか美祭」でそのステージを初めて拝んだグループだ。そのときにメジャーデビューは決定していたが、そこから武道館ライブが決まり先日はダウンタウンDXにメンバーのふたりが出演していた。破竹の勢いである。でか美ちゃんのレコメンドやキュレーション能力はすごい


話してみたら意外と良い人だった〜のケースがほとんどなのだけど、まれに遭遇する「話してみても本当にクソだった」パターンのせいで、会話を持ちかけることを躊躇する


必要なのはサードプレイスと利害関係にない理解者の存在。その2つの有無によって人生の難易度が大きく変わってくる


映画館、本屋、ライブハウス、劇場
これらに10代の終わりからずーっと救われている


自分は思っていたよりもせっかちな性質の人間だった。自覚だけでなく、他者の言葉からも気付かされた


変わったんじゃないよ。関係値が足りなくてあえてまだその一面をあなたには見せてなかっただけだよ。変わったなんて簡単に言うなよ。人はそう容易には変わんないよ


自分には難しいことを誰かが代わりにやってくれてたり、自分がうまく言葉にできないことは誰かが言語化してくれてたりする。心のどこかでずっと求めて見てみたかったような光景や表現を「これだよね」と提示してくれる人が存在することの心強さだとか、さりげない心遣いだとか、忘れちゃダメな気付きをたくさん得られた最近。感謝、精進、そして想像力がもっと要る


土日の下北沢も吉祥寺も新宿も渋谷も人が多すぎてどうしようもない。イライラしまくる。阿佐ヶ谷がちょうど良い


執着しようと思えばいくらでも出来ることばかりで、その果てには破滅や傷心が待ってるのが想像に難くないので、あえて薄情を選ぶことがある


大森靖子の音楽が良すぎる。彼女もまた過小評価と、多くの誤解と損と、理不尽な敵意とレッテルと行き過ぎた自己投影や贖うべき以上のダメージに晒され続けているひとだ。いつか歴史は彼女以前以後とを線引きするだろうし、大森靖子とはひとつのジャンルであったと語るだろう。とはいえそんなのずっと未来になされることではなく今すぐ!もっと!明確に!ほらはやく!だろうとわりと本気で思う今日この頃


河合優実がCMに出まくっている。好きだから嬉しいけど、なんかもう、如実にだ


10月の服装むずかしすぎるって


SNSにしろリアルにしろ言葉を選ぶことは多いしそれはナチュラルなマナーであり倫理だと思う一方で、こちらが言葉を選んでる事実をもうちょっと汲み取った返しをしてくれと思うことはあるよね


ベイビーわるきゅーれナイスデイズ。冬村かえで。池松壮亮


永野と令和ロマンくるまのバラエティ。お互い喰い合うことなく肯定尊重するトークで核心に迫り、そこに三谷紬アナが客観的な存在で位置する構図は『怒り新党』を彷彿とさせる。番組公式で倍速編集や切抜き動画を出すのは今っぽく、忌憚のない定義や解釈をする2人の断定的な話術にはどうしたって引き込まれる


永野の喋りってよくよく聴くと「ちょっといいすか?」「これ初めて言うんですけど」「いやもう…これ言いますけど」って前置きしてから話し出してることが多い。プレゼンのテクニックでもあるけど、自分に注目させてサビのトーク前にフィルイン挟んで引き寄せてから強烈なワードをぶっ込むという型が仕上がってる

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ふぬけ
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