シリーズ最高傑作だと思った理由 『ベイビーわるきゅーれナイスデイズ』感想
※ネタバレ含む
面白かったです!!
過去のシリーズ1と2で物足りなく感じていた部分が補完されていて最高でした。
1も2も面白いとは思ったんですけど個人的には大ハマりまではしなかったんですよ。
それはなぜか。
理由は2点。
1つ目。
ベビわるのファンってちさまひの関係性や生活感、軽妙なやり取りが好きな人が多いじゃないですかおそらく。けど自分の場合はその点そこまで響かなくて。"こういうの好きでしょ"台詞の多さや出てくる固有名詞の羅列が狙い過ぎてる感じ。まさに『花束みたいな恋をした』と同じフレームに入ってる気すらして、いずれベビわるも別の作品でそういう狙いすました固有名詞のひとつとして出てくる作品になるんじゃないかと思ったし、そこはカウンターというかブーメランというか、そんな印象でした。
刺さるところはモロに刺さる反面、醒めるところはとことん醒めるんですよね。言わされている感とかセンスの衒いが滲み出ている瞬間は間違いなくあったから。と同時に、こんな感想すら俯瞰で見られて想定されている共感性羞恥や黒歴史的イタさを煽るような空気感すら持ってる尖った作品で、そのあたりなんだか見方が難しかったんですよ。チャーミングな二人に魅了されながらもどこか苦手意識や嫌悪感も一緒にある、みたいな不思議な感覚でした。
もう1点。
それはちさまひがあまりに強すぎてストーリーとしての緊張感がないところ。いやああいう普通の女の子が実は凄腕の殺し屋で最初から圧倒的に強くて仕事以外はポンコツゆるゆるなのがいいんじゃん!っていうのは全然理解できるんですけどね。作品のテーマが「殺し屋と暮らし」だし。ふたりの生活感とスタンスも殺し屋主人公のアクション作品としては斬新だし。
このテーマおよび設定はシリーズの根幹で、多くのファンを取り込んだ要因でもあるのは承知のうえで、それを差し引いても私は2人の圧倒的すぎる強さと余裕のぶっこき方が鼻についたんですよ。ゆえにその余裕が揺れる瞬間が好きで、過去作でもまひろがメイド喫茶に馴染めない自分に絶望したり、強敵と対峙して「なんだよこいつ」みたいな手こずって面倒くさがったりとか、そういうシーンが好きだった。だからか社会性の無さと戦闘における比重および感情の見え方においてどうしてもちさとよりもまひろに肩入れしちゃうんですよね。
そんなわけでちさまひに関しては生活感や軽妙な掛け合いよりも戦闘モードかつ苦戦する姿が好みなので(それもあの普段の暮らしがあってこそのギャップなのだけれど)、本作ナイスデイズで彼女たちの前に立ちはだかってくれた冬村かえで(池松壮亮)の最強っぷりと人物造形には痺れた。
1と2で感じていた物足りなさであり自分が求めていた要素の正体=ちさまひが命の危険をかつてないほど感じる苦戦および強敵の存在。そして生活よりも戦闘。
完全にそれらが補完されていたという意味で大満足!シリーズ最高傑作であり、心から面白いと思えた理由です。
池松壮亮演じる最強の殺し屋・冬村かえでが愛しすぎる。孤高でピュアで戦闘狂。あまり見たことがないタイプのラスボス。なんだあの重さを感じる分厚い肉体、ムダのない動きと鋭い体術は。
ちさまひがかえでと激突するのが早かったのも良かったですよね。もったいつけない。初動が痛快。結果的に3回に分けてバトルしていて、それぞれに銃撃戦や肉弾戦の面白味も詰まっていた。
かえでは遥か前にドラマ『MOZU』で池松壮亮が演じた殺し屋とはまた味わいも凄みも全然違う。これを見る前に最後に映画館で観たのがちょうど『ぼくのお日さま』だったので、池松壮亮の幅の凄みをこれでもかと味わいました。氷上の柔らかい笑顔と相反するかえでの狂気の微笑。それでいて単なるサイコじゃない魅力。
映画『バトル・ロワイアル』で安藤政信が演じた桐山和雄みたいなのも大好きなんですけど、かえでは違う。単なる快楽殺人鬼でもサイボーグのような殺戮マシーンでもない。素養はあったにせよ、鍛錬と孤独の果てに成りえた人間味のある怪物。
かえでは他者とのコミュニケーションを上手にはかれず、社会性や共感性も欠如し、そこに相応の孤独感やコンプレックスもきちんと抱えている。だからこそ自分の存在価値を見出すことができた「殺し」や「鍛錬」に純度100%でのめり込んだ。かえでって殺した人の数をいちいち数えて覚えていたじゃないですか。本来それって強者を描くのとは真逆の描写だと思うんですよね。
ハンターハンターの幻影旅団もいちいち殺した人数なんか数えちゃいないっていう言及がわざわざ初期にされていたし、ジョジョにも「おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか?」って名言もありますけれど。
殺した人数を覚えてランク付けして所感や反省をノートに綴り続ける冬村かえではいわば弱者のそれなんですよ。なのにそれがむしろ彼の異常性を際立たせていた。殺しに手を染めだした頃は拳銃の扱いに慣れてなかったり「死ぬかと思った」と吐露しながら息も絶え絶えだったり、そんなところから場数と鍛錬の末にあそこまで行きついた人間の異常性、成れの果てというか。ノートに書いて反省して鍛錬も重ねて最強を更新し続けないといけない。だってそうじゃないと自分の価値も存在意義も失うことになるから。
最強の殺し屋であることが自己肯定感を満たす価値であり、他者に必要とされ孤独からも脱却でき社会と確かに交わることのできる唯一にして天職のような手段だった。それが目的に変わっても同時に手段でもあり続けているある種の切なさがかえでの人間くささであり最後まで消えない魅力でしたね。
伊澤彩織さんがインタビューで語っていてすでに多くの人も言及しているように、まさしく「まひろがちさとに出逢わなかったらかえでになっていたかもしれない」という世界線を体現していた人物。かえでがまひろと共鳴する部分があったり、一度完敗したことも含めてまひろがかえでに対して闘志も恐怖も抱くのは同じ穴のムジナとしての同族嫌悪だったようにも見えてそこも説得力がありました。
それほど本作において冬村かえでというキャラクターがもたらしていた影響は絶大だったと思います。こうも魅力的に造り上げた監督、池松壮亮、関わった共演者スタッフはものすごいなと。「どうやってこいつに勝つの?」という絶望感を与えてくれた。
『幽遊白書』でも戸愚呂が覚醒する前の幽助にいうじゃないですか。「おまえもしかしてまだ 自分が死なないとでも思ってるんじゃないかね?」「今のおまえに足りないものがある。危機感だ」と。
そう、ちさまひに足りなかった、私がシリーズに求めていたそれを、かえでは完璧にもたらしてくれた。HUNTER×HUNTERの黄金コンビであるゴンとキルアも「俺つえええええええ」を延々とはせず、難敵に勝てなかったり心をへし折られてからキャラに深みが出たじゃないですか。
名作『池袋ウエストゲートパーク』のキングもずっと飄々としてゆるいのに、仲間を殺されてからブチ切れて口調も表情も一変して一気にドラマ最終回の緊張感に連動していったじゃないですか。あの一面が見えたからこそ窪塚洋介のキングって伝説的なキャラクターになったと思うんですよね。
ちさまひの二人もかえでを前にして下手すりゃ普通に余裕で殺られていた。その危機感があったからこそ最後の出陣前のまひろの台詞、それに対するちさとの返しに繋がっていて。
あのまひろの覚悟と、その覚悟を袖にするちさとが最高じゃないですか。死にたくない理由、死なせたくない理由、負けられない理由、すべてもう顔を見合わせれば十分伝わるじゃん。
かえでの強さと危険度を認めるからこそ二人のリレーバトルで勝利をおさめるまでに至ったし、入鹿たちと協力していくことにもなったわけで。とはいえまだまだ底が見えきらない。特にちさとに関してはまあそこが魅力でもありますが。
本作の見ごたえとして入鹿たちも加わった群像アクションの進化も確実にありましたよね。前田敦子も最高でしたし、池松くんとあっちゃんといえばかねてからの盟友だし共演自体が熱い。かえでとやり合う4人チームの個性、バランスも絶妙。
それにしたって池松壮亮。そもそも一番好きな俳優だけど今年はイカつい!冬村かえでには痺れまくりました。一番笑ったのは「正当防衛だ!」のところかな。
駐車場での対決も良かったし、フォーマルモードブルーコンタクトのちさまひの出で立ちも素敵だった。
アクションシーンって飽きないからもう一度観たいな。ドキュメンタリー版もあるしエブリデイズもあるし供給にはまだまだ困りませんね。
誰と出逢い、誰と戦い、そこに理解はあったか。
常に紙一重なこの世界で、背中を預けあえる相手と生活できる幸せよ。傑作。