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【ギルティ】見せずに魅せる、罪と向き合う男の姿

見えないからこそ想像力をかきたてられる90分。ぶっちゃけ中盤で展開は読めるけど、沈黙や間の加減が絶妙で作り手の思惑通りに見事に踊らされました。

この作品を観て思い出したのは、同じスタイルの映画トム・ハーディ主演の【オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分】です。こちらはひたすらトム・ハーディが車の中で電話をしながら展開するのですが、トム・ハーディの演技と色気がマシマシでなかなか良い作品でした。

トム・ハーディー程ではないですが本作の主人公も大人の色気漂うルックスで、なにより【ギルティ】の方がより想像力を使わせる作りで設定をうまく活かせていたように感じます◎どちらも90分前後の作品ですが、作品の構造上あまり長い時間だと画的にも展開的にも持たないのかもしれません。


展開は読めちゃう、けどキモはそこじゃない


ぶっちゃけ中盤ごろに事件のオチは読めちゃうかなとも思います。

なぜ最初からラゲッジルームに閉じ込めなかったのか?なぜ閉じ込められる事へのトラウマを思わせる発言が出たのか?なぜ閉じ込めた時に携帯を取り上げなかったのか?なぜ元夫の家に不必要なはずのおもちゃがあったか?

この辺りに「ん?」と思えると話が進むにつれて「あっ…(察し)」となるわけですが、この作品の描きたい事は事件のサスペンス的要素よりも主人公の心情の方にあったと思います。


やってしまったことへの罪悪感より、やらなかったことへの後悔


事件当日はオペレーターとして勤める最後の日で、翌日は自身の裁判の日。この区切りがあるからこそ、主人公の行動には贖罪の意味が強かったようにも思います。

つまり、他人のためにというよりも自分のためにこだわったという部分が大きいかもしれません。終盤、主人公は首を突っ込んだことで全てが裏目に出て事態を悪化させたと罪悪感を感じてしまいます。確かに彼が関わらなければマチルダは弟の遺体を見ることはなかったかもしれません。元夫は殴られる事もなかったかもしれません。

だけど冷静に考えてみると、彼が諦めなかった事で救われた事のほうが多かったのではないでしょうか?
イーベンは自身の罪に自ら気が付き、死を選ぶことなく向き合えました。マチルダは終わりの見えない孤独に耐える事もなく、最終的には母親を失わずに済んだわけです。

もしあのまま定時で帰っていたらどうなっていたでしょう。事態の発見は遅れ、もしかしたら元夫は冤罪をかけられていたかもしれません。後日ニュースで事件すべてを知ることになったら、自分にできることがあったのではと後悔してしまうはずです。

確かに根底には自分勝手な想いがあったかもしれません。ですが、彼が諦めなかったからこそ救われた人がそこにいたはずです。

誰かのために、という想いが少しでもあれば世界をちょっとだけよくすることができるのかもしれないと勇気づけられました。綺麗事かもしれないですけどね。


ばれなくても罪は罪、ばれない罪こそ背負う罪


最後の電話の相手は想像するしかありませんが、妻に電話をかけたのじゃないでしょうか。
また、裁判でもイーベンが自身の罪と向き合ったのと同様に過剰防衛を認め、彼もまた罪を償うことでしょう。

夫婦仲が元に戻るとも限りませんし、きっと仕事も失うことでしょう。これに関してはあまり綺麗事を言える気はしません。それでもラストシーンの部屋を出ていく彼は、その姿そのまま改めて光に向かって歩いていけるのだと信じたいと思います。

アカデミー賞外国語映画賞の最終選考まで残っただけある、よくできた作品でした。☆3.4/5.0としたいと思います。

短い作品ですが、よく味わいたいそんな思いを込めて羊羹と共に鑑賞してはいかがでしょう?

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