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尊敬する人

おれには尊敬する人がいない。

福祉職員はいい仕事だ。
上司や先輩に
恵まれていると思う。

しかしそれは尊敬ではない。

尊敬とは、おれの目指す道の
先にいる人物に抱く思いだからだ。

漫画「銃夢」で印象に残った一節がある。

この世に意味など存在しない。
例えるなら、それはただ踊り狂う道化。
ゆえに何も持たぬ者が最も真実に近い。

人生には等しく意味がないと断定し、
社会的な成功者と、そうでない者が
同等に扱われるのが痛快だった。

しかもその無意味さに
自覚的であるためには、
何も持たないほうが
良いとさえ言い切る。

そのありようが、
ずっと胸の奥に残っていた。

ただ、ふと思う。

何も持たぬ者とは
おれが今、支援している
生活困窮者のことではないか?

そう意識すると
思い出さずには
いられない人がいる。

ホームレス状態で、
交通事故以来から何年も続く
全身の痛み(原因不明)に
苦しんでいる。

自分の努力で
どうにかなるような
境遇ではない。

それなのに彼は
生活保護を頑なに拒んだ。

彼は言う。

「人に迷惑をかけるぐらいなら今のままでいい」

おれは気づいた。
おれは彼を尊敬している。

多くを失ってなお、
自立して生きるその姿が
尊いと感じている。

それが分かれば、解釈は広がる。

敬意を払うべきは
彼のような被支援者だけではない。

自分の都合ばかりで支援を要求し、
やるべき義務を果たそうとしない者もまた
尊重されるべきだ。

その者は生きるために
支援を要求するスキルを
積んできただけであって、
それが今の社会では
不適格だと勝手に判断される。

それだけだ。

おれたち福祉職員にできるのは、
そのスキル活用の方向性を変え、
税金を使用せずに
より良い生活を目指すことを
本人が選択すれば、
その手助けを
申し出ることだけなのではないか。
(もちろん、制度のルールを守ることも、自立を促すことも私たちは真摯に努めるが。)

おれは今、福祉の仕事に感謝している。
尊敬する人に出会わせてくれた。

ありがとうございます。

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