小学四年生に、おれはなる。
なぜ小学四年生なのか?
子どもらしさを追求するのなら
小さければ小さいほどいいのではないか?
元コロコロコミック投稿コーナー編集者の
天久聖一が言うには、
小学四年生のハガキが一番面白いそうだ。
それ未満ではことばが抽象的すぎて、
それ以上になると大人を意識した
作為が入ってくる。
こどもの野生を、
最も純度が高く、
社会にわかりやすいかたちで
プレゼンできる。
相手にわかりやすいってことは
自分自身にも伝わりやすいってことだ。
私はそれを目指す。
ある時期、
自分は許されたカスなのだと考えていた。
自分のカスさをさらけ出し、
その上で相手に対してできることを模索する。
そんな利己的なカスを周りは許してくれている。
だからおれはおれを許せる。
そう思っていた。
でもそれっておかしくない?
じゃあおまえは
周りが許してくれなかったら
一生自分を許さないのか?
ちがうちがう。
おれは元々おれを許してた。
なにもしなくとも、なにもされなくとも
こどものころは。
利己的な部分も重々承知してて
そのカスさも面白いな、好きだな。
と思っていた。
そしてそのカスさを好きなことも好きだな。
さらにカスさを好きなことを好きなことも好きだ。
その上でカスさを好きなことを好きなことを好きなことも好きだ。
さらにその上でカスさを好きなことを好きなことを好きなことを好きなことも好きだ。
そんなふうに自分のことを考えると
自分大好きスパイラルで
脳みそが宇宙に広がった。
やっぱり大切なことは
小学四年生が知っている。