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備忘録:甲殻類の幼形成熟に関する博士の記述を見つけて

ウィリアムソン博士は、1982年に出版された甲殻類の総説集「The Biology of Crustacea Volume 2-Embryology, Morphology and Genetics」の第2章Larval Morphology and Evolutionにおいて、その最終章Larvae in Taxonomy and Phylogenyの最後の2ページにかけて、甲殻類の幼生形質を用いた系統分類を考えるときの最重要項目として、幼形成熟(ネオテニー)をあげている。博士は、幼生転移仮説の発表以降は、平行進化と同様に幼形成熟にも触れることはなかったが、本文献では、2点の甲殻類について、文献より得た情報を紹介している。


① 枝角目Cladoceraに関して

枝角目(ミジンコなどが該当)は、鰓脚網Branchiopoda(原点はConchostracaとあるが、現在分類名に使われていないのか、BISMaLの検索には出てこなかった。その他検索により、Branchiopodaを採用する。ホウネンエビなどが該当)の祖先から幼形成熟によって進化したと考えられている。この過程で個体発生におけるノープリウス期がなくなり、個体発生の加速が行われるようになったのが枝角目になるという。実際、枝角目はプロトゾエア幼生としてふ化し、体節数もわずかである。鰓脚網と枝角目の共通点は、Cyclestheriida(こちらもBISMaLの検索には該当がないが、その他検索により、貝虫clam shrimpに代表されるグループになると考えられる。分類としては鰓脚網に属する)にあり、こちらもノープリウス幼生を持たず、一対の眼を持つ点がその共通点になるのだという。


② カイアシ類Copepodaについて

カイアシ類のコペボディド幼生がクルマエビ上科のプロトゾエア幼生に似ているという。両者の触角外肢や尾節の甲板が互いに似ているという指摘がある。十脚目Decapodaのプロトゾエア幼生から、幼形成熟・発生停止の過程によって、カイアシ類へと進化したのではないかと考えられる。また、カイアシ類の幼生・成体のいずれも、肢の推進力の点において、プロトゾエア幼生の肢と同等であり、幼形成熟といえる。

ただ、カイアシ類については、別の意見として、カシラエビ網Cephalocaridaの方が、カイアシ類よりもクルマエビ上科のプロトゾエア幼生に似ているのではないか、という考えもある。


博士は、甲殻類の幼形成熟による進化について、

.①については何も述べていないが、②については、意見を随所に挿入している。

・分節化された触角外肢は、この付属肢を遊泳に用いる多くの集団で普通に見られる。

・caudal ramiや剛毛の類似点はカイアシ類の幼生・成体のいずれについても、発生中のアルテミアArtemia(鰓脚網に属し、クルマエビ上科とは遠い系統にある)にも見られる。

・各ramusの関節は全ての真軟甲亜綱Eumalacostracaの動物達のそれに対応している。

・コペポディド幼生がクルマエビ上科のプロトゾエア幼生より数多くの胸肢を持ち、発生段階として前者は後者より後の段階である。

・プロトゾエア幼生の眼と尾節を発生させずに、どのようにしてカイアシ類のコペボディド幼生になるのか、説明がない。

そして、最後に、カイアシ類は薄甲羅目Leptostraca(コノハエビなど)より同時期か早くに主流の軟甲綱から分岐しており、クルマエビ上科のプロトゾエア幼生との類似性を論じるのはやり過ぎではないか、と締めくくっている。

また、カシラエビについては、これも引用文献からの情報になるが、鰓脚類またはそれ以外のノープリウス幼生の起源はカシラエビの祖先を起源とするかもしれない、と、幼形成熟に関する記述の前段落になる、フジツボの幼生と分類の問題で述べている。


また、博士は、1982年に発表した論文「The larval characters of Dorhynchus thomsoni Thomson(Crustacea, Brachyura, Majoidea) and their evolution」で、幼生形質は成体形質と同じく変異と淘汰を受けて進化するのであり、系統解析では幼生形質も成体形質と同等に扱うべきと論じていた。その後で、幼生形質がこれほどまでに重要な一例として、幼形成熟を挙げている。幼形成熟は幼生形質が成体形質になる現象であり、最近、ムカシエビ目で説得力のある報告があること、そして、その報告からムカシエビの成体形質は幼生であるゾエアの形質となることを述べている。


③ ムカシエビ目Bathynellaceaについて

この文献は、本論文でのみ引用されていた。1981年にドイツのキール大学に所属するシュミンケ博士が発表した「ゾエア理論」である。この理論は、ムカシエビ目はゾエア様の祖先が幼形成熟を起こして進化した、というものである。こちらは大著になるが、概要と要約より、可能な限り紹介したい。

シュミンケ博士は、ムカシエビ目Bathynellaceaの成体と軟甲綱の甲殻類の外部形態を比較し、前者は後者とは離れた関係であるとした上で、後者に属するクルマエビ上科の幼生形態との比較を行った。そして、両者は互いに類似しており、特に、下顎・尾節・上唇・胸肢がよく似ていると指摘した。

また、胚発生後の個体発生についても、平行関係があると指摘した。各個体発生については、

ムカシエビ目:卵➡nauploid➡パラゾエア➡bathynellid➡成体

クルマエビ上科:卵➡ノープリウス➡プロトゾエア➡ゾエア➡ポストラーバ➡成体

となるが、パラゾエアはプロトゾエアに、bathynellidはゾエアに相当するとした。

ムカシエビ目のパラゾエアは孵化してから3番目の胸肢ができるまで、bathynellidは4番目の一対の胸肢ができてから性成熟するまでになるが、これ以降の発生は進行しない。しかし、クルマエビ上科では変態後も発生が進行する。シュミンケ博士は、ムカシエビ目はクルマエビ上科との共通祖先における最後の幼生期で成熟していると考えた。

生態レベルも含めた考えとしては、ムカシエビ目の祖先は、元々は海洋に生息していたが、地上の淡水に移住した時に幼生の発生様式を変更しなかったと思われる。そのことは、水底の隙間のある場所で生きる時に、捕食者や水流に対抗するためだったのだろうと思われる。そして、個体発生の短縮を経て、早い段階で性成熟するようになり、ムカシエビ目の祖先が生まれたのではないか、と考えた。


④ ハーグ博士の幼形成熟への見解・2億年後の甲殻類の幼形成熟

博士の幼生転移仮説に反論したハーグ博士は、幼形成熟をはじめとする異時的な遺伝子の発現による甲殻類の進化を肯定する立場をとっている。進化発生学の論文集「Evolutionary Developmental Biology of Invertebrates Vol.4 Ecdysozoa II : “Crustacea”」の第1章がハーグ博士の担当であるが、甲殻類の祖先がノープリウス幼生を確立させる過程、この祖先からカシラエビ網Cephalocarida(カシラエビなど)・顎脚網Maxillopoda(カイアシ・ヒゲエビなど)・鞘甲亜網Thecostraca(フジツボなど)が生まれる過程、顎脚網からヒゲエビ亜網Mystacocarida・カイアシ類Copepodaが生まれる過程について、甲殻類の体形を簡略化した模式図を駆使し、どの発生段階でどのような過程があったのかを図示している。いずれにおいても、幼形成熟のみならず個体発生の加速・過形成・器官形成の時期の変更、が起こっていると主張している。


幼形成熟を基本とした甲殻類の進化に関するユニークな考えについては、もう1点思い浮かぶ情報がある。「フューチャー・イズ・ワイルド」という日本語の書籍である。生物学など様々な専門家が2億年後までの地球に生息する生物の世界を考察したもので、CGによる美しい未来世界が素晴らしいのだが、p.227にシルバースイマーという、甲殻類の紹介がある。絶滅した硬骨魚のニッチを埋めるべく、幼形成熟を利用して多様化し、2億年後の海の支配者になるのだという。生殖能力を持った「ゾエア様幼生」が群れなす姿を、個人的に忘れることができなかったが、博士の残した記述で、偶然にも思い出すことができたのだった。


使用文献

The Biology of Crustacea Volume 2-Embryology, Morphology and Genetics Academic Press 1982年

The larval characters of Dorhynchus thomsoni Thomson(Crustacea, Brachyura, Majoidea) and their evolution D.I.WILLIAMSON著 Journal of Natural History, 1982, 16:727-744

Adaptation of Bathynellacea(Crustacea, Syncarida) to Life in the Interstitial (“Zoea Theory”) Horst Kurt Schminke 著 Internationale Revue der gesamten Hydrobiologie und Hydrographie Vol.66 No.4 1981 575-637


参考文献

“Crustacea” : Comparative Aspects of Larval Development in Evolutionary Developmental Biology of Invertebrates Vol.4 Ecdysozoa II : “Crustacea” Jouachim T.Haug他著 Andreas Wanninger編 Springer 2015年

フューチャー・イズ・ワイルド 驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界 ドゥーガル・ディクソン他著 ダイヤモンド社 2004年

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