第5章:雑種形成実験その1
<カテゴリー①:同じ系統に属する幼生を持つ種同士が両親の場合>
どちらの親も同じタイプの幼生の時期を過ごす場合である。例えば、どちらの親も、甲殻類のゾエア幼生を持つ、棘皮動物のプルテウス幼生を持つ、というものが該当する。このカテゴリーの場合、生まれる雑種の幼生は、両親の形質が混合したものになる。
とある生物学者が実際に行ったウニの雑種形成実験を、例に挙げる。一般的な形をしたウニであるエゾバフンウニの一種Strongylocentrotus purpuratus と不正形ウニ類(例えばマコノタクラやマンジュウウニ)に属するDendraster excentricus の卵と精子を接合させ、受精卵から生まれた雑種の個体発生を観察したところ、
・ S. purpuratusの卵とD. excentricusの精子で受精を行った場合と、D. excentricusの卵とS. purpuratusの精子で受精を行った場合では、どちらも孵化はしたものの、前者のほうが、寿命が長かった。
・ エキノプルテウス幼生の幼生骨格は父親のものに似ていたが、幼生の形そのものについては、母親のものに似ていた。
という結果が得られた。寿命に差異が見られたものの、父親と母親の両方の遺伝情報がエキノプルテウス幼生の体に反映されていると考えられる実験結果である。ただし、受精して7.2日以降、この幼生から更なる変化は見られなかった。つまり、幼生の観察は可能だが、それ以降の発生過程である稚体や成体については、未だ解析されていないのである。
<カテゴリー②:一方の親が他方の親よりも有利に遺伝情報が働く場合>
前のカテゴリーで取り上げた幼生は、父親と母親の両方の形質が反映されたものであったが、父親または母親のどちらか一方の親の遺伝情報が優先的に働く場合がある。トロコフォア幼生を持つ動物では、トロコフォア幼生以外にも、成体の形に近い二次幼生を持っているが、博士は、形の単純な幼生、繊毛で体を回転できる幼生が優先的に発現すると考えた。
星口動物は、トロコフォア幼生とそれに続く二次幼生であるぺラゴスフェラ幼生の時期を過ごす。前者は、環形動物または軟体動物から幼生転移によって獲得したものであるのに対し、後者は元々から備わった幼生世代であることは前にも述べたが、このトロコフォア幼生の形が、ぺラゴスフェラ幼生よりも早い時期に現れるのは、卵に近い単純な形をしていたからなのかもしれない。
<カテゴリー③:母親は幼生の時期を過ごさないが、父親は幼生の時期を過ごす場合>
博士は、この場合、幼生は父親由来で、稚体・成体は母親由来になると考えている。彼の研究した甲殻類であるカイカムリを例に挙げる。カイカムリのゾエア幼生が異尾下目Anomuraからカイカムリ上科Dromioideaに幼生転移されたのでは、と考えたことは、甲殻類の幼生転移の所で既に説明した。もし、この推理が正しければ、精子はゾエア幼生のある異尾下目Anomura由来であり、卵はゾエア幼生を持たないカイカムリ上科Dromioidea由来だったのでは、と考えられる。
<雑種形成実験-幼生転移を実証するために->
ウィリアムソン博士は、幼生転移の証明を試みたのは③のカテゴリーに該当するカイカムリではなかった。体内受精でのみ受精し孵化するため、体外で人工的に雑種を作らなければならなかったが、成功せるための条件を見出せなかったためである。博士は、②のカテゴリーで実験を行うことにした。
博士は、ナツメボヤの一種Ascidia mentula とヨーロッパホンウニの一種Echinus esculentus の雑種形成を試みた。前者はオタマジャクシ幼生を持ち、後者はエキノプルテウス幼生を持つから、どちらかの幼生が、雑種の個体発生のステージにおいて優先的に発現するのではないか、という仮説を立てられる。
博士が実際にA. mentulaの卵とE. esculentusの精子を受精させて、エキノプルテウス幼生にまで発生した雑種2000個体の中で、体内に成体原基を作ったものは僅か70個体であり、発生開始37~50日後に18℃で変態を遂げたものは20個体のみであった。この20個体を15℃の水槽で1年間保存したところ、4個体がウニとして生存していた、とのことである。
しかし、この実験では、プルテウス幼生で発生の止まった大部分の雑種幼生に、想像もつかない生命現象が見られた。まず、片側の腕足だけが少しずつ退縮し、非対称な歪な形になる。そして、壁に固着し、エキノプルテウス幼生よりも小さな球体のような形になり、その球体から突起が生じる。この幼生は、水中を泳いで別の壁に付着できるが、最後には成長も変態もすることなく、そのままの形で死んでしまう。この球体形より先の発生の進行については、未だ観察されていない。博士は、この球体形の幼生について、「オタマジャクシ幼生を得る以前のホヤの幼生ではないか」と考察している。
博士は、自ら行った実験からは幼生転移を証明できなかった。しかし、二つの新たな知見を得ることができた。
・ ヘテロ接合体は、父親と母親両方のキメラよりも、父親の遺伝情報にある幼生および稚体の時期を過ごす。
・ ウニの稚体および成体は、ホヤのそれよりも優先的に発現したものなのかもしれない
このエキノプルテウス幼生の状態から成長できたものは僅かであり、その他大勢に当たる球体形の幼生については、結論を述べていないのは気にかかるが、幼生転移の可能性を示唆するデータにはなろう。
<幼生転移を支持する分子データ>
甲殻類について、2種のカニ下目と1種のヤドカリ下目の18SrRNAを解析したところ、
・ カニ下目において、1回以上の雑種形成が起きている。
・ 個体内の18SrRNAは両方の親のものが混ざって含まれる場合よりも、父親または母親のどちらかのみ含まれる場合が多い。
・ 上記の2点が現存している個体に残っている。
という。特に、雑種形成が分子レベルの解析からも考えられることは興味深い。
棘皮動物の幼生転移について。18SrRNAの配列の親和性において、半索動物とナマコ綱で、ヒトデ綱とウニ綱においてそれぞれ高い親和性が見られることが報告されている。
<ハート博士の反論-幼生転移は単為発生の誤認だった?->
ウィリアムソン博士の幼生転移の理論は、推論に留まる部分が甚だ多く、多くの生物学者が博士を批判したが、実験によって否定しようとした科学者もいた。1996年のEvolution誌に発表されたMW・ハート博士の実験論文があげられる。
ハート博士は、ホヤの一種A. mentulaの卵とウニの一種E. esculentusの精子の受精で生まれた雑種のエキノプルテウス幼生から、mtDNA(ミトコンドリアに存在する環状二本鎖のDNA)のシトクロムオキシダーゼサブユニットⅠ(COⅠ)遺伝子のシーケンス解析と、28SrRNA遺伝子の制限酵素による切断パターンの比較を行った。
前者の実験では、E. esculentus由来のCOⅠ遺伝子しか見出されなかった。後者の実験でも、通常のE. esculentusと同じ切断パターンしか見られなかった。雑種幼生なら、A. mentulaの遺伝情報が入っているため、COⅠ遺伝子が存在し、28SrRNA遺伝子の切断パターンも、E. esculentusとは異なる筈である。
ハート博士は、この2つの実験結果より、
・ A. mentulaの遺伝子は、微量にはあるのかもしれないが、PCRで増幅させてその存在を確認することはできなかった。
・ 雑種幼生は、両性具有のE. esculentusから自家受精で生まれたものではないか。あるいは、別種のウニ同士の雑種形成によるものか、両者の卵が実験する前に混ざっていたために、E. esculentusのエキノプルテウス幼生を雑種幼生と誤って認識したのではないか。
と考察した。彼は、以上のように幼生転移の否定には成功していない。博士は、卵のコンタミネーションについては、その可能性を否定している。また、大部分の雑種幼生が辿った運命である球体形の幼生について、解析を行っていない。実験前にコンタミネーションを起こしたのは、ハート博士自身ではないか、ということも考えられなくはない。
結局、幼生転移への反論は多々あるものの、博士自身も更なる解析を行わず、また、反発した科学者達も、綿密な実験によって反証を試みなかったため、幼生転移の真偽については、決着はついていない。
<幼生転移から見た新しい分類体系>
博士の幼生転移理論の最終目的は、最初に述べたように、動物界の系統樹の再構築にあった。しかし、彼自身は系統樹を作成してはおらず、自らが例に挙げた動物達を、3つのカテゴリーに分けるに留まっている。幼生の形の源となった動物、その幼生の遺伝情報すなわちゲノムを雑種形成によって受け入れた動物、そして、一旦は幼生を受け入れたが、生活上、幼生が不要になり、今は幼生世代を持たない動物である。
各々のカテゴリーに属する動物について、下の表に示す。
(★:幼生の源となった動物 ☆:幼生を受け入れた動物 ◎:幼生を受け入れたが、今は幼生を持たない動物)
★Mysidacea(甲殻類) ☆甲殻類(クルマエビ) ◎甲殻類フクロエビ上目(アミ)
★半索動物プランクトスフェラ類(プランクトスフェラ) ☆半索動物鰓腸類(ギボシムシ) ◎Ophiomyxidae, Gorogonocephalidae(棘皮動物クモヒトデ綱クモヒトデの一種)
★輪形動物(ワムシ) ☆環形動物多毛類(ゴカイ)・軟体動物(アワビ)・扁形動物渦虫綱(プラナリア) ◎環形動物貧毛類(ミミズ)・軟体動物頭足類(イカ)
★有爪動物カギムシ綱(カギムシ)・節足動物シミ目(シミ) ☆節足動物六脚上綱(ムカデ) ◎節足動物バッタ目(バッタ)
★尾索動物オタマボヤ綱(オタマボヤ) ☆尾索動物(ホヤ) ◎尾索動物ヒカリボヤ亜綱(ヒカリボヤ)
<補足1:カンブリア紀大爆破時代の化石記録から>
Amiskwia sagittiformsという動物を博士は挙げている。この動物は頭部がナメクジ様であることから軟体動物と考えられているが、胴体は矢じりのようであり、二枚貝のような体制とは明らかに異なり、むしろ頭がまずありきで胴長の、いわば脊索動物に近いように見える。かの有名なピカイアによく似ている。つまり、軟体動物のオリジナルは、幼生世代を持たない頭足類という見方もできるということだ。タコやイカはまず頭があって、殻を持たず、全身も平板にはならない。
<補足2:生物界の垣根を越えた幼生転移>
博士を知るリバプール海洋生物学研究所のトレバー・ノートン博士によると、緑藻植物に属するアオサ藻綱ツコノイトの一種であるホソツユノイトDerbesia marina の遊走子の形が、トロコフォアのそれによく似ている、とのことである。
この遊走子の形は、動物界から植物界へのトロコフォアを作る遺伝子の転移が行われた結果なのかもしれない。
使用文献
Larvae and Evolution Donald I Williamson著CHAPMAN&HALL 1992年
The Origins of Larvae Donald I Williamson著KULWER ACADEMIC PUBLISHES 2003年
Testing cold fusion of phyla : Maternity in a tunicate x sea urchin hybrid determined from DNA comparisons Michael W. Hart著 Evolution, 50(4). 1996, pp.1713-1718
Hybridization in the evolution of animal form and life-cycle Donald I Williamson著 Zoological Journal of the Linnean Scoiety, 2006, 148, 585-602
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