人生とは発生して、そして収束するもの
Flannery O'Connor (フラナリー・オコーナー)という方が、'Everything That Rises Must Converge'という作品を書いています。「発生したもの(または上昇した物)は一点に集まる」といった感じの意味です。
物語の内容はさておき、私はこのタイトルの意味について考えるのが好きです。
例えば、雨が降った時に発生した雨粒はだんだんと下に流れていって、多くが海に到達します。
人類が作ってきた物や建物もやがてはゴミやガラクタとなり、ゴミ捨て場のようなところに行き着くのかもしれません。
この文章を読むことができる’’人’’、すなわち私たち個々人は発生してきました。つまり、産まれてきました。そして、’’死’’という一点に向かって収束していくんですね。
発生するとそのままかというと、そうではありません。収束するまでに与えられた環境の中でいろいろなものにぶつかり、影響を受け、時に傷つき、そしてほんの稀に生きてきて良かったと思える幸せな瞬間があり、収束してくわけです。
卵から孵ったカメが大海原に飛び込んだ後、不幸にして直後に食べられてしまうものもいるでしょう。1年生きながらえるカメ、2年、5年、、、中には産まれたビーチに帰ってきて自らが産卵するものもいるのでしょう。しかし、収束するのは同じなんですね。
Everything That Rises Must Convergeとあるように、この原理は変わりません。
私たちもそれぞれの人生という流れに乗り、収束していっています。そして、それはみんな気付いているのですが、あまりにその道のりが長すぎて忘れてしまうのだと思うのです。
だから、とりあえずその時その時をできるだけ幸せに、楽しく生きれたら良いと考えながら、、、。
収束するという事実は変わらないのだからそれで良いのだと思うのです。結局収束するのだから。
しかし、発生から自分を客観的に見ずにその時々で楽しいことを探す人生は、ふと気付くと体が重くなっているのではないかと思います。体重ではなくて(笑)周りを取り巻く不要なものや環境、または心の脂肪です。
産まれてきて、これまでの人生の流れで邪魔な存在や苦しいこと、逃げたいことが当然のようにあるのですが、、、それらはだいたい過去との関連ですよね。過去が収束して今となり、今の現状を現実と捉えます。つまり、発生からの流れを今として見ているわけですね。
こうしてはどうでしょうか。収束する先を見るのです。すると、自分と周りにある物や人との距離感を整理したり、不要なものをリセットできる気がします。
収束にそれは必要なのか?という問いです。
結局、自分もいずれ収束するということに気づいた今、必要でないかもしれないものをたくさん抱え込んで肥大化した自分を人間は可能な範囲でリセットできます。
ここからどのように収束すれば人生が楽になるか、それを考えるとなんだか楽しくなると思えるのです。
部屋の掃除でもしながら、何をリセットしようか、私も考えてみますね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。