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ディア・ファミリー


主演の大泉洋さんが、公式Xにポストされていた画像にて
綴っていた言葉。
「家族への愛が生んだ
普通の家族の奇跡の物語」


公式Xより

医療知識の全くない町工場の社長
彼の娘は生まれつきの心臓病で
少なくともあと10年の命だと宣告される。
ただ待つだけの人生より、不可能でも挑む人生に。
いろんな差し伸べられる手を掴んで
勝ち取った奇跡。
その奇跡が、のちに17万人以上の命を救うことになる
そんな実話を元にしたお話です。


以下、ネタバレを含む可能性があります。



鑑賞理由


まずこの映画を見るに至った経緯を説明します。
一つの要因は、SixTONESの松村北斗くんが出演しているからです。

そもそもファンであることに違いはないのですが
私は「夜明けのすべて」という映画から
彼の演技力に圧倒され続けています。

怒る、笑う、悲しい、悔しい
人間に備わる"代表的な感情"。
それを表現するのにも、もちろん巧みな技術と知識
そしてセンスが必要なことは私も知っています。
しかし、その"間の感情"。
悲しくそして悔しい、その移り際。
怒りの中で溢れるのは笑い、その矛盾さ。
単純に表現しきれない、感情にはそんな
「機微」があると私は思っています。

前述した「夜明けのすべて」という作品は
以前感想も書きましたが、その「機微」だけを
うまく掬い取ったような作品でした。
言わずもがな繊細であるその表現を
丁寧で、かつ微妙なラインで、
それでいてしっかりと私たちに伝わる形で
表現できる彼のポテンシャルの高さに驚いたのです。

彼の出る作品は見落としてはいけない、と
ファンとしてである以前に
映画好きとしてそう思いました。


そしてもう一つ、映画を見る上での大きな理由になったこと。
実は私の父親も、心臓疾患を抱えています。

倒れたのは、私が高校生の時。
朝起きて1階のトイレの扉を開けたら
うつ伏せに倒れている父を見つけたのは、私でした。

”バルーンカテーテル”というものの存在は
当たり前に知っていました。
身近にお世話になったことのあるその命のツールの起源を
知らぬままで良い訳がないと思いました。

この予告を見た時
父の命は、かつての誰かの命と涙の上に成り立っているのかもしれない
と思いました。

見るべきだと感じた
というのが一番大きな理由です。


人生の話


何度も言いますがこれは実話で
「バルーンカテーテル」を生み出した実在するご家族のお話です。
だからそういう「医療の話」だと思うかもしれません。

ただ、それは違います。
これは【人生の話】でした。

劇中「坪井家」と称される主人公家族は
現実には「筒井家」というお名前のご家族です。
その筒井家の、お父様の、お母様の、ご姉妹の
そして何より亡くなった佳美さん(役名)の
人生の話です。

語弊を生む表現かもしれませんが
彼らが人生を、諦めず
諦めず、諦めず、懸命に生きた先に
生み出されたのが、たまたま
バルーンカテーテルという奇跡だったという"だけ”
これは彼らがどんな逆境に立ち向かおうと
「それで、次は?」と問い掛け合い続ける
強く逞しい人生の話です。


本当に救える医療を開発したのは医療従事者ではない男


長い見出しになってしまいましたが(笑)
この物語の重要な部分だと思うのです。

ものすごくネタバレになるし、ものすごく私見を挟みますが
どこまで実話でどこからフィクションかもわからないですが
あえて言葉を選ばず言うのであれば
腐った医療業界に、坪井宣政(役名)という男がいなければ
いまだに日本の医学はゾウのようなゆったりとした歩幅で
微々たる進歩しか遂げられず
救えなかった命が数多くあったのではないか、と思うのです。

そう思うとゾッとします。
現に父の命は今なかったかもしれない。


知識もない、お金もない。
その全てを自らの手でカバーして打破していく
その道筋は、言葉で説明しなくても
途方もないことは簡単に想像できます。

ただそこは、今回かなりあっさり描かれているという印象でした。
いやあっさりというか
壁が多すぎて描ききれなかったんだろう
むしろこのスピードじゃないと収まらないんだろうな
という印象。


前述しましたがこれは「人生」の話。
こんな壮大な人生を、2時間そこらに収めようというのが
無理な話なのだ、というのがまず最初の感想です。

当時の医療業界の悪しきしきたり。
立ちはだかる壁。
それを突破し、実際に多くの命を救い
後世にも残る偉業を成し遂げたのは
医師でもなんでもない、町工場の男であった
という事実だけにフォーカスしたって良いわけです。
そこだけに注力してドキュメンタリーにしたって価値があります。
でも月川監督は、事実をなぞるだけではなく
あえて人生の話にしたのです。

いろんな方の批評を読んでも
「意外とあっさりとしていて、残るものがなかった」
などと書いている方もちらほら見受けられ
ものすごくもったいないと思いました。


勿体無いなと思ったけど
「家族の話」にした、決定打。
この作品を「よかった」と言えるものにした
その要を、松村北斗演じる富岡が担っていました。



最大の救いの手


この映画はいろんな人が宣政に救いの手を差し伸べて
そうして出来上がっていくお話です。
坪井家のみんなの、熱意と諦めない心も素晴らしいけど
触発され決意していく周りの人間のその手が
宣政たちを救っていきます。

光石さん演じる大学教授は
わかりやすく”壁”として集約され悪く描かれています。
カメラワークでもあえてイマジナリーラインを超え
ベタに、そして堅実に対峙を演出されていました。


そんな登場人物の中で
一番繊細に、心をゆっくりと動かしていくのが
研究医の富岡だと思います。

「10年では人工心臓は完成しない。
あの家族を見ていられない。」
と早々に坪井家から離脱した男なのですが
結果から言うと彼の見立ては正しく
ついに長年の決意破れた宣政。
「それで、次は?」と諦めなかった先に見た
娘との夢に、今度は富岡が手を貸します。


この映画の、そして宣政の、坪井家の
最大の光であり、希望となる
この映画の核となるシーン。

バルーンカテーテルの実用化を
頑なに拒む光石演じる教授に対して
「ここで手を差し伸べられなければ
医師になった意味もない」
と言い放ち、
それまで揺らぎながら葛藤していた富岡が
初めてその壁と宣政の間に
しっかりと立ちはだかってくれた瞬間です。

手を掴んでは打ち砕かれ
掴んでは打ち砕かれ
それでも懸命に諦めなかったこの家族は
多分この冨岡の一言がなければ
永遠に報われないままだったかもしれません。


この映画がただの医療映画でない理由は
「諦めなければ必ず、光の兆しが現れるということ」
「正しいと思った先に未来があること」
「重ねた努力は必ずいろんな形で帰ってくるということ」
人生において大切なこと。
文字にしたらものすごく王道で
何番煎じもされてきた熱いエールを
こうして丁寧に表現しているからです。


この富岡のセリフシーンは
確実にこの映画の最大の肝だと思います。
宣政の人生、富岡の人生、それまで手を貸してくれた人たちの人生
人生の重なった奇跡だということを
月川監督は表現したかったんだな、と
この富岡のセリフで思いました。



公式HPより


松村北斗の演技力


登場出番は多くはありません。

ただ彼の演技はやはり今回も繊細でした。
最初に登場した研究中の横顔。
聡明故に、宣政たちの希望は叶わないのに
と目を閉じてしまう表情。

再会した時、宣政の執念の先にある
娘への深い愛を受け取ってしまった富岡。
そして自身も親になったことにより知ったその愛への共感と
その上で改めて芽生える医師としての決意。


上記にあるものは私がこの映画から感じ取った
富岡という男の機微ですが
そのどれもはセリフになってはいません。

それでも感じ取ることのできる
松村北斗という役者の表現力は
あの少ない登場回数でも残る存在感として
この映画にあります。


もちろんどの役者さんたちも素晴らしいです。
でも贔屓目なしでもやはり彼の演技は素晴らしいなと
改めて思いました。





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