よき人生を祈ろう。許したその人の。
取引先のイノウエ事務所を訪ねることになっていた。
事前にアポは取っておいたものの、前日のメール連絡に返信はなく、スマホの電源も落としているようで応答がなかった。少し気にはなったが、元々きちんとしている方なので当初の予定時間通りに訪ねることにした。
イノウエさんは8階建てマンションの7階の2DKの一部屋を事務所にしていた。古めの建物のためかエントランスに特別なセキュリティはなく、すんなりとエレベーターに乗り7階で降りる。玄関のインターフォンを押すとイノウエさんの声で対応された。問題はなさそうで少し安堵した。「出向いていただいて申し訳ない」と、鍵を開けスリッパを丁寧に揃えてくださった。どうぞと通された先には接客用のダイニングテーブルがあり、280ml入りペットボトルのお茶がふたつ用意されていた。事務のアルバイトの女性は不在にしているようだった。
「今日はアルバイトがお休みで、お茶もこんな感じで申し訳ない。」
僕は、いいえお構いなくと恐縮しながら椅子に腰をかけカバンを床に置く。正面からイノウエさんに向き合った際に左頬の大きなカットバンに気づいたが、特に何も触れず要件にとりかかった。しかし、なんだろうこの微かな違和感。
書類を手渡しながら手元に視線を落とすと視界の端にそれを捉えることができた。
コンセントのプレートが外れかかっている。しかもひとつではない。この部屋の2つと、見える範囲では隣の部屋のものもいくつか…
僕の眼球の動きが気になったのか、イノウエさんが切り出す。
「すまないね。ちょっと配線の手入れをしていて。このありさまでパソコンもスマホも充電がままならなくて。」
「そうだったんですね。事前に携帯にお電話を差し上げたのですが、昨日から繋がらなかったものですから。」
「それは申し訳なかった。」
イノウエさんはペットボトルの蓋をやや乱暴に開けるとグイと一口飲み下した。こちらに向けた左頬のカットバンが痛々しい…なんだかざわつく。
「いえ、お気になさらないでください。そういえば、コンセントって、和製英語なんですよね。英語圏ではなんて、言うんでしょうね。あはは。」
少しだけバイオレンスな匂いがして動揺したのか、トンチンカンな受け答えをしてしまっていた。
イノウエさんは正面を向き直ると、強い視線で僕を見た。
「ところで、お知り合いに弁護士さんはいませんか?」
「こ、顧問弁護士はおりますが…労働問題でしょうか?」
「いや、離婚問題に強い人がいい。」
僕は、盗聴器って英語でなんて言うんだっけ…と、ありもしない記憶を手繰り寄せていた。