命の持つエネルギーを信じさえすれば僕らは生きていける
今はハエトリグモくらいとしか一緒に暮らしていないけれど、おたまじゃくしクワガタカナヘビ、縁日のヒヨコからハツカネズミ、手に収まる身近な生き物はほとんど飼育した気がする。
カマキリの卵を家の中で孵化させてしまい、怒り狂った母親&掃除機登場という悲しい思いをした人は僕ばかりではないはずだ。まあだいだい昔はどこの家でも経験していたことだと思う。
僕は小さな生き物たちをデータとして欲していたというよりも、命という概念を身近に感じられるツールとして扱っていた気がする。残酷な表現だけど。
まだ未就学児だった僕は、近所の草むらでトノサマバッタを捕獲することに成功した。プラスチック製の飼育かごに草を敷き詰め、その立派な出で立ちにうっとりと興に入っていた。
数日たったある日僕は異変に気づく。
「ふえてる…」
一匹だったトノサマバッタが二匹に増えている。
何か、自分の想像を超えた何かが起きている気がして、いままで粗末に扱ってきた小さい命たちの終焉がフラッシュバックして、僕は慄然とした。
慌てて飼育かごを抱え、トノサマバッタを捕獲した草むらへ。虫かごの蓋を開けると敷き詰めた草ごと中身を放り投げた。
しばらくして僕は、きちんと図鑑を広げることを覚えた。
バッタは脱皮する生き物なのだと初めて知った。
と同時に
「不完全変態」という単語に、えもいわれぬ執着を覚えるのであった。
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