【ふなログ338】「ソンナコトナイヨ」が必要な人、そこを乗り越えるべき人
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昨日は
娘がペーパーを沢山トイレに突っ込んだため、
詰まってしまったトイレを
手を汚しながら掃除しましたが、
今日は、
娘がトイレに向かう途中で漏らしてしまったものを
思いっきり踏んでしまい、
なかなか「ついてる」日でした。
我ながら
「運」が良過ぎです(笑)
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コレもまた、
知人主催の勉強会の直前のタイミングだったので、
急いでお掃除して遅刻してしまいました。
色々な背景を持つ方が参加し、
それぞれがアイデア(主にビジネス)を出し合いながら
フィードバックし合う
とても有意義な時間でした。
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私としては、
普段のお仕事では接する機会がないであろう人たちと、
zoomでオンラインで繋がって
それぞれの背景や取り組んでいることを知ることだけでも嬉しく、
それだけでお腹一杯でした。
そして驚いたことに、
皆素晴らしいご経験やご経歴などをお持ちに関わらず、
「大したことないです」のような枕詞がついてくる。
いや、
「私の方が何もない・・・」と言いたくなる連続ですが、
そんなことを言っちゃいけない。
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「自分なんて」なんて思っている間は、
心のどこかで「ソンナコトナイヨ」という言葉を
期待してしまっている。
特に私にはその傾向が強かった。
もっと若かりし頃(笑)
「ソンナコトナイヨ」という言葉にすがろうとして、
正気を保とうとしているのだ。
少年時代はまだそれでもいい。
しかし、もういい歳こいた
オッサンなのだ。
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しかしながら、
そんな「ソンナコトナイヨ」という言葉に
すがって
甘えたくなる気持ちも分からなくもないし、
そういう気持ちでなければやりきれない時もある。
自分の心の奥底に
「心理的安全性」のようなものを
「ソンナコトナイヨ」という言葉で
繋ぎ止めようとしてしまうのかもしれない。
そして、
自分を受容しようとして
前に進もうとする準備をしている…
のかもしれない。
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もちろん、
人によってプロセス、というか過程があって、
そのようなものは、「最早不要」という人も居れば
「絶賛必要中!」という人も居ると思われる。
「ソンナコトナイヨ」と、
自分を慰めることも必要な段階は確かにある。
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しかし、
どんなに他人から言ってもらえることがあっても、
最終的に自分を認めていくのは自分自身だし、
それを何度も乗り越えていくのも自分自身。
言ってもらいたい気持ちもあるかもしれないが、
越えられそうなら
ダメな自分を受け入れて、そこを踏み越えていこう。
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ちなみに
「ソンナコトナイヨ」は、
日向坂46の2020年にリリースされた曲。
唯一知って密かに聞いていた曲でした。
(オッサンなのに、というツッコミはご勘弁をw)
「髪を切ったばかりの女の子が恥ずかしがっているのを、
キミだから『ソンナコトナイヨ』と声をかける」
という甘酸っぱいラブソングなので、
今回のテーマとは無関係。
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しかし、
「ソンナコトナイヨ」
が必要な人やタイミングは、結構繊細な話だし、
人によってはそこを乗り越えていく必要がある。
無論、私は
「ソンナコトナイヨ」を乗り越えていくべき立場。
まぁ、たまにはそんな気持ちにもなりますが
ほどほどに(笑)
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