「近代国家」という「坂の上の雲」を目指して
「坂の上の雲」司馬遼太郎
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ついに全8巻読破しました。
3月の頭ぐらいから読み始めたので、約1ヶ月かかりました。
「いやー、長かった。
でも読んでよかった。」
これが読後の感想です。
この本の主題は、ズバリ
「日本人とは何か」
です。
明治維新から、
わずか40年足らずの間に
日本人としてのアイデンティティが生まれ、
「国のために」
大国ロシアと戦うまでに
ナショナリズムが発展した日本について
秋山好古、秋山真之、正岡子規の
3人に主に焦点を当てて、
書かれているノンフィクション小説です。
なぜ
明治維新から超短期間で、
大国ロシアと戦うまでに
ナショナリズムが発展させることが可能だったのか。
結論から言いますと、
「坂の上の雲」(目指すべき大きな目標)である
「近代国家」
という目標があったからです。
本書にも
国家のために、なぜあれほど命を捧げられたのか
という問いには5巻で触れられていて、
「明治維新により
初めて国家というものが成立してる
という集団的感動によるもの。
略
国家が宗教的対象になっていた。」
と書かれています。
国家そのものが宗教的なものとして成立していて、
「近代国家」になるという目標がある
という状況は、
仏教で
解脱、涅槃を追求しているような
感じですよね。
目標があるから、
苦しい修行にも一生懸命に取り組めます。
だから、
この時代の人は、
自分の命を国家のために捧げることが
できたのだと思います。
「国のためにはどうするのが最適か」
行動の判断基準は、この基準で決まっていたのです。
で、ここでは
そういう状況において
人々は果たして幸せだったのか
について考えていこうと思います。
僕は、
幸せだったと思います。
なぜなら、
僕の経験上、
「目標を立てて、それに向かって頑張る」
ことは、
結果の是非に関わらず、
無条件で充実感を味わえるものだからです。
「坂の上の雲(近代国家)」
という突き進むべき道が
示されていて、それに向かって
ひたすら頑張っていけた。
そして
小国であった故に、
自分の功績が可視化されやすかった。
という状況は、非常に充実感を得やすい環境だったのではないかと思います。
そんなことを思いながら、
では現代は、どうか
ということについて考えていきます。
ネット社会、世界が十分に発達した社会において、
国家単位で
「坂の上の雲」を見つけて、
それに向かって全員で突き進む
というのは
不可能に近いです。
それもあって
多くの人は、現在
人生において
「坂の上の雲」
を見つけられていない状況だと思います。
ウィズコロナ、アフターコロナ時代には、
その傾向がより顕著になっていくと思います。
だから、
自分にとっての
「坂の上の雲」を見つけること。
まずこれが、現代においては
とてもとても重要になってくるんじゃないかなと思います。
幸いなことに
僕は、
「全ての人を健康に」という
「坂の上の雲」を持てているので、
その点において、
すでに十分に幸せなのかなと思ったりしました。
ここまで
現代の「坂の上の雲」はなんだろうか
という話に終始していましたが、
本書で一番紙幅を割かれていた
日露戦争にも少しだけ触れていこうと思います。
なぜ日本軍は、
軍事力では明らかに優れている
大国ロシアに勝てたのか。
これについてです。
絶対的に見て、
日本軍が、
秋山真之や秋山好古、東郷平八郎、児玉源太郎などの活躍によって
少ない軍事力をうまく使いこなし、
ロシア軍を打ち負かしたというのは間違いないです。
しかし、
ロシア軍が、
当時専制政治であり、
作戦の伝達などが未熟さ、
支配者の私利私欲のために、
自滅していったという
相対的な関係も
勝因のかなりの割合の占めていた
というのも紛れもない事実なのです。
そこを
日本国は、
「日本の絶対的な強さにより勝利した」
と勘違いして、
日露戦争後、
約40年足らずで、
第二次世界大戦に突き進んでしまった。
東郷平八郎が
海軍解散の辞の結びの言葉で
「〜、一勝に満足して治平に安ずる者よりただちにこれをうばふ。
古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と」
と言っていた教訓を生かせなかった日本軍の末路は、
みなさんご存知の通りです。
すごく考えさせられました。
本当に読んでよかったです。
家にいて、
「時間めっちゃあるぜ。」
という人は、
ぜひ読んでみてください。
こんな時代だからこそ
日本の歴史について考えることも悪くないかと思います。
「坂の上の雲」司馬遼太郎
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