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べらぼう 第7回「好機到来『籬(まがき)の花』」大河ドラマ紀行

第7回では
蔦重が細見を今までの倍売れば
仲間に入れてもらえるという
かけのために
新しい売れる細見を考えるお話でした。

対抗する
西村屋が
浅草の摺物屋
小泉忠五郎
と組んで細見をだす。


探してみたのですが、
蔦重が出した「籬の花」が
1775年

小泉忠五郎の名が入っているのが
1774年の
吉原細見年表『松のしらべ』

こちらを西村屋さんが見ていた細見みたいですね。
劇中で1775年に出された細見は見つかりませんでした。
(存在するのか、架空のものか?)


第7回 「好機到来『籬(まがき)の花』」

新吉原への隅田川からのルート



東都三十六景 今戸橋真乳山

歌川広重 作

広重『今戸橋真乳山』,相ト. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1303586 (参照 2025-02-19)

隅田川と山谷堀が合流するところに架かっていた橋で
現在では親柱のみ残っています。

ちなみに「親柱(おやばしら)」とは

橋の両端に高欄の続きとして設けられる高欄より大きな柱で、河川名や橋の名前、竣工年月が記されている。近年は自然石を彫刻した親柱やイルミネーションされた親柱が作られ、高欄の擬宝珠とともに橋を渡るときの楽しさを演出してくれるものである。

一般社団法人東京都測量設計業協会 https://www.sokuryo.or.jp/db/oyabashira


山谷堀公園(さんやぼりこうえん) 【東京】

山谷堀という水路があり
墨田川からこの水路を通っていきます。

昭和50年頃から埋め立てられて
公園になったとのこと。

桜の花がたくさんあり
お花見スポットになっています。


猪牙船(ちょきふね)

猪牙舟とは……

猪牙舟・猪牙船(ちょきぶね)は、猪の牙のように、舳先が細長く尖った屋根なしの小さい舟。江戸市中の河川で使われたが、浅草山谷にあった吉原遊廓に通う遊客がよく使ったため山谷舟とも呼ばれた

ウィキペディアより引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E7%89%99%E8%88%9F

このような小舟に乗って
吉原を目指したんですね。


山谷堀公園内にモニュメントがあります。
場所は聖天橋跡近くのもよう。


東京名所四十八景 三谷堀今戸はし夕立

昇斎一景 作

東京都立図書館 所蔵

隅田川から
山谷堀の水路をとおり
今戸橋近くで舟を降ります。
(結構早くに降りるんですね)

ここからは徒歩。
日本堤をてくてく
新吉原を目指します。


名所江戸百景 よし原日本堤

歌川広重 作

広重『名所江戸百景 よし原日本堤』,魚栄,安政4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1312336 (参照 2025-02-20)

1927年に日本堤は取り崩され
現在は「土手通り」となっているそうです。

あ!
見返り柳が土手通りにある。


新吉原細見 籬乃花

今回のお話で
蔦重が作った細見

『[新吉原細見]/籬乃花』(江戸東京博物館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100450858

右の方に「日本堤」と書かれています。
が、とにかく文字が細かい。
読めないよー。
これを彫ったのかと思うと、技術がすごい。

『[新吉原細見]/籬乃花』(江戸東京博物館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100450858

本当に文字が細かい。
筆で書くのも大変だろうに
版を作ってちゃうんですよね、彫師は。
本当にすごい技術力!


こちらのサイトでは
現在(数年前)の山谷堤あたりの様子が
書かれています。



画像引用元

大英博物館
https://www.britishmuseum.org/
各サイトの利用条件にそって
画像データを使用しています。


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