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選ばれなかったモノ
「何かを選ぶということは、何かを捨てることだ」と誰かが言った。僕は、捨てられた何かにいつも思いを馳せてしまう。
「人生は後悔の連続だ」と誰かが言った。その後悔はどこへ行くのだろう。僕の知り得ぬどこかで花を咲かせているのだろうか。
「#あの選択をしたから」というテーマを見たとき、自分について何かを書きたいと思った。
失敗だらけの人生だった。過去の選択を後悔したことも何度もあった。でも、そうした選択の連続が人生を動かしてきた。そんなことを書きたいと思う。
青春の苦味
言葉にすると恥ずかしいけれど、僕らには確かに青春があった。ひたすら球を投げて、打って、走って、その繰り返し。僕らの夏はいつも白球とともにあったし、ユニフォームはいつも土で汚れていた。
でも、僕は自分が思うより野球が上手くなかった。中学最後の夏、僕はヒットの一本も打てずに引退した。
高校で野球を続けるかどうか、当時の僕にはとても大きな選択だった。でも、背中を押したのは「悔しい」という気持ちだった。もっと練習していれば、もっと頭を使っていれば、そんな後悔が僕に続けることを選択させた。
それから数年が経ち、高校3年最後の夏、僕は試合に出ることはなかった。
今でもたまに考える、野球を続けていなかったらどんな人生だったんだろうと。自分の得意なことを見つけて活躍していたかもしれないと。中学の時以上に悔しい、苦しい、惨めな思いをしなくて済んだのではないかと。
でも本当に後悔するべきは、野球から逃げなかったことなんかじゃない。もっと小さな選択。少し早く起きて練習する。ご飯をもう一杯食べる。帰り道に野球のことを考える。そんな毎日の小さな選択こそ、本当に大切なものだったのかもしれないと、今になって思う。
大人になること
人生は大人になってからの方が長い。大きな後悔も、時間をかけてゆっくりと美化されていく。
きっと、生きていくために必要なことなんだろう。たくさんのことを経験した結果、なくてはならないと思っていたことは人生の一部でしかなくなって、自分を支えるパーツが増えていく。正当化する言葉が増えていく。
でも、忘れたくない。忘れてはいけない。あの時の後悔が、あのときの執着が自分を作り上げてきたこと。どんなに小さな選択だって、人生の一部になること。たとえ間違った選択でも、未来の自分がそれを正解にできること。
幸いなことに、僕はいま楽しいと思える仕事に就いている。今の仕事をしているのはどちらかというとたまたま拾ってもらえたからで、ただただ運が良かったからだ。
でも、続けてきたのは間違いなく自分の意志だ。選択だ。向いてないと思ったこともあったし、実際働けなくなったこともあった。今だって本当に向いているのかはわからない。でも、明日はきっと続けることを選択するだろう。その次の日も、その次の日も、たぶん。続けることを選んだから。
流され続ける人生の中で自分が選べるものは思っているよりも少ない。だから、選べること、そのひとつひとつに感謝したい。それがどんな結末を迎えようと、生きている限りその続きはある。だから僕は、これからも選択することから逃げない。
選ばれなかった人生がどこかで花を咲かせますようにと。これまでの選択が意味をもつものになりますようにと、願いをこめて。