「茨城県に伝わる民話 第4回」(「額田神社の山桜」「雷神様のささら」「華蔵院のネコ」「平重盛の墓」「善重寺と親鸞」)
徳川光圀が、今の常陸太田市にある西山荘に隠居したころのお話です。那珂市の額田神社を守っている、お坊さんの住まいが近くにあり、そこには大きな山桜がありました。春には美しい花が咲きますが、葉桜のころから大きな枝が屋根に多いかかり、邪魔になっていました。
お坊さんは人に頼んで、山桜を伐ろうと思い、村の人に話したところ、「ご神木だから」と反対されてしまいました。それでも、お坊さんは生活上困ることだから、神様も許してくれるだろうと、木を伐ることにしました。
ところが、山桜を伐る前の晩、お坊さんの夢の中に白衣の老人が現れ、「私が思うに、桜の木は伐り倒さないほうがよい。この木を伐れば、あなたは末代までうらまれますよ。この木を伐れば、あなたは末代までうらまれますよ。伐らなければ三年ほどたって、大きな寺の住職になれるでしょう」と言いました。お坊さんは驚いて、木を伐るのを中止し、村の人にこの話をし、桜の木を大切にしようと言いました。
それから三年たって、お坊さんはめでたく江戸の大きな寺の住職になりました。「きっと白衣の老人は八幡様だったんでしょう」と村の人は話し合い、山桜を大切にし、春には桜の木の下での花見がずっと続いています。
むかしむかしの話です。今の水戸市渡里町のあたりは大きな寺や、軍の役所があり、にぎわっていました。そして、そこに一盛長者というお金持ちが住んでいました。
八幡太郎義家が奥州征伐のとき、ここを通過し、5万人の兵隊が休憩しました。そのとき、長者は義家をもてなしました。酒や米飯をたくさん提供し、「お帰りにもぜひ、お立ち寄りください」と送り出しました。
義家は奥州を平らげてから、また一盛長者のもとへ立ち寄ると、驚くほどの大変ぜいたくなもてなしを受けました。
義家はいったん、そこを出発しましたが、戻ってきました。「このままにしていたら、大変、わが身が危なくなる」と言って長者を滅ぼしました。
その長者の財宝の中に、三台の獅子頭がありました。長者は屋敷が焼ける前、「私は滅びるが、獅子頭を大切にするように」と奉公人に持ち出させました。
その後、奉公人は水戸市の向井町に住みつきました。その子孫が、この獅子頭を棒につけて躍らせ、「ささら」というようになり、雷神様の祭りに奉納されます。
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