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「1932年に江ノ島延長が計画されていた江ノ島電鉄」


「1932(昭和7)年10月30日付の横浜貿易新報(現:神奈川新聞)」


今回は、1932年の横浜貿易新報(現:神奈川新聞)に発表された江ノ電の「江ノ島延長計画」について考えていきます。具体的にはこの記事の背景、計画内容、実現しなかった理由、さらに現代の状況を歴史的・経済的・社会的観点から述べていきます。


1. 記事の背景と当時の社会情勢

(1)江ノ電と観光開発

江ノ電(江ノ島電鉄)は1902年に開業し、藤沢~鎌倉間を結ぶ全長約10kmの路線としてスタートしました。湘南エリアは近代日本において特に人気のある観光地として知られ、江ノ島はその中心地でした。当時の鉄道事業者は単なる交通手段としての役割だけでなく、沿線の観光地や資源の開発にも積極的に関与していました。

  • 観光客誘致の競争
    同時期、他の鉄道事業者も観光誘致に力を入れていました。例えば、小田急電鉄は江ノ島と箱根を結ぶ観光ルートを開発し、湘南モノレールもその後江ノ島エリアへのアクセスを強化しました。江ノ電にとっても、路線の延長や観光地への直接的な接続が重要な課題でした。

  • 湘南観光の発展
    1923年の関東大震災からの復興を経て、湘南エリアは東京圏からの観光客を集める地域としてさらに発展しました。この時代、鉄道事業者が観光地に路線を伸ばし、アクセスを改善することは地域の経済活性化につながると考えられていました。


(2)計画の内容

記事には「江ノ島に延長」という構想が明記されていますが、具体的には以下のような内容だったと推測されます。

  • 路線延長の目的
    現在の江ノ電の終点である「江ノ島駅」から、江ノ島の島部分(神社や観光施設があるエリア)まで直接アクセスする形で路線を伸ばすことを想定していたと考えられます。これは、観光客が徒歩で橋を渡る手間を省き、より利便性を高める狙いがあった可能性があります。

  • 技術的要素
    江ノ島へのアクセスを鉄道で延ばす場合、現実的には以下の方法が考えられます。

    1. 橋梁の建設
      現在も江ノ島は「弁天橋」で本土とつながっています。この橋に沿う形で鉄道用の新たな橋を建設する案が有力だったと考えられます。

    2. トンネルの掘削
      島の地下を通るトンネルの建設も理論的には可能ですが、当時の技術やコストを考えると難易度が高かったでしょう。

  • 観光需要への期待
    江ノ島は古くから江島神社を中心とした宗教的な観光地であり、さらに海水浴や釣りなどのリゾート地としても発展していました。これをさらに推進する目的での計画だったと考えられます。


2. 計画が実現しなかった理由

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