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「茨城県に伝わる民話 第7回」(「玉簾観音」「しばられた毘沙門天」「真崎の白百合姫」「金色姫」「満福寺の阿弥陀さん」)


「玉簾観音」(たまだれかんのん、茨城県日立市での言い伝え)

 茨城県日立市と常陸太田市(旧:里見村)との境に玉簾寺(ぎょくれんじ)と玉簾(たまだれ)の滝があります。

 徳川光圀公は領内を巡視した折、日立市東河内町にある玉簾の滝のところで一休みしました。光圀公が自然の姿に満足し、滝を眺めていると、そこに不思議な光(霊光)が現れ、江戸の小石川のお屋敷にある観音様に変身しました。

 その光はすぐに消えましたが、光圀公はそこにその観音様、玉簾観音像を安置し、立派なお寺、玉簾寺を建てさせました。

 ところが、このお寺は3度の火災にあいました。ある火災のとき、村の人々が駆けつけてみると、ほかのお堂はすべて焼けてしまいましたが、観音堂だけは火を寄せつけませんでした。

 目を凝らしてみると、お堂の屋根の上に、人の形をした白いものが霧のようにふわふわして、火の粉を払っていました。

 村の人々は、観音様が人の姿になり、火災を救ってくれたとありがたく思い、前よりも観音様を大切にしました。


「しばられた毘沙門天」(茨城県那珂市での言い伝え)

 茨城県那珂市飯田に一乗院という真言宗のお寺があります。ここには毘沙門堂があり、立派な毘沙門天が安置されています。

 江戸時代の終わりごろ、この毘沙門天はだいぶ傷んでおりました。それで、村の大工さんに頼んで修理してもらうことになりました。

 大工さんは名誉なことだからと、喜んで仕事にかかりました。とりあえず、毘沙門天がばらばらにならないよう、お腹のあたりに、縄をかけました。そして、その日の仕事を終えて、そのまま帰ってしまいました。

 家に帰った大工さんは、その晩から、お腹が痛くなり、何日たっても治りません。ある日、大工さんは痛みを我慢して、お寺に行ってみました。すると、毘沙門天は腹に縄がかかったままになっていました。

 大工さんは驚き縄を外し「仏様、痛かったろうな、しばりっぱなしでさ」と言って、おわびしました。すると、今まで痛かった大工さんのお腹の痛さが消えました。

 「俺のお腹が痛かったのは、仏像に縄をかけたからだな、本当にすまなかった」と謝り、仕事を完成させたそうです。その後、毘沙門天は、きれいな姿を村人に見せたそうです。

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