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演奏=苦行の呪縛

私は昔から音楽は好きなのにあまり演奏自体を楽しめないタイプの人間です。音楽は好きだし楽しいから何かしら音楽活動を続けているのだと思うけれど、演奏すること=楽譜を指揮者やコンマスの言う通り再現することであり、部活や市民楽団で合奏に参加することは自分が担当する無数の音符のうちどれだけ少ない割合のミスで留めて正確な音を出すかという試験を受ける事だと感じています。

また、チューバを吹いていた大昔、単独の演奏会ではなく街のお祭に出演するための練習をしていた時のことです。「演奏会でもないしこんな程度でいいかな〜」なんて仲間とやる気のない話をしていたらある方から言われた一言。

「人間は五感のうち一番自力で防御しずらいのが聴覚。演奏会は自分の家族や友達や恋人が出演しているというだけでお客様は演奏の完成度に関わらずそれなりに楽しめるしお客様は自らの意思でそこにいる。だけどお祭りやパレードの参加は偶然そこに居合わせた人も聴く。ある人にとっては聴きたくもない音楽を許可なく撒き散らす身勝手な行為かもしれないのに、加えて下手ということは迷惑行為に他ならない。」と。


志の低い若者か熱心に練習するためにはこの言葉がモチベーションとなり一生懸命練習して様々な演奏をしてきましたが、逆に言えば「演奏=迷惑行為」になり得るレベルなら自分も人前で演奏したくないし、他人のそういう演奏も許せない感覚に襲われます。

心から音楽を楽しいと思える方法は無いものか?何とかこの呪縛を解く方法を探したいと常々思います。






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