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本屋さんとしての責任
『ユートピアとしての本屋』という本を読みました。
そのなかで、たびたび問われていたのが「本屋としての責任」でした。
なるべく、できることなら自分の本屋さんで売る本はすべて自分で読んで中身をわかってから売りたいところですが、実際にそれは難しそうです。
本屋さんが大きくなればなるほど、売れば売るほどに、取り扱う本の量も数も増え、本を読む時間は少なくなります。
なので、(大して)読んでない本でも、これはいい本だよ、と言って売ることになります。それってなんだか無責任な感じでしょうか?
とても言語化するのが難しいですが、そこには本屋さんなりの嗅覚が働いているのだと思います。この出版社であれば、この著者であれば、この冒頭の雰囲気、装丁の手触り、寄せられる期待の声、それであればきっといい本に違いない、という独特の感覚です。考えてみれば、ふだん読者であるわたしたちも、実際には本をすべて読まずに買っているので、同じ嗅覚を持っていて本を買っているはずです。
すべての本を読んでいるわけじゃないけれど、買ってくれるひとには、いい本を手にしてもらいたい。差別や偏見で誰かが傷つくことがないような本を届けたい、ほんのひととき日常の嫌なことは忘れて幸せな気持ちになれるような本を届けたい。
本屋さんとして本を売るには、これまで以上に嗅覚を働かせていい本を選んでいく必要があります。そうやって、考え、感じ、選びぬくことが本屋さんとしてのひとつの責任のあり方なんだと思います。なにも考えずに選んだり、なんとなくで仕入れることはしない。届けたい誰かのことを思って、ひとつひとつの本を選んでいきたい。
わたしのお店にとってちょうどいい本、ちょうどいいセレクトの仕方、があるはずです。それが、この本屋さんの選んだ本なら信頼できる、と思ってもらえたらとても嬉しいです。