「永遠のファシズム」 ウンベルト・エーコ
和田忠彦 訳 岩波現代文庫 岩波書店
つまずく書店ホォルで購入。
目次
序
戦争を考える
永遠のファシズム
新聞について
他人が登場するとき
移住、寛容そして堪えがたいもの
[解説]モラル、その隠れた使用法
少年ウンベルトの自由と解放を継いで-「現代文庫版訳者あとがき」にかえて-
「戦争を考える」
だから、コジモは樹上で生活し続けたのだ…とつながる。コジモはカルヴィーノの「木のぼり男爵」の主人公。イタリアではこの小説はカルヴィーノの知識人論としても読まれている…でも、ついに(?)日本においては、「知識人」という言葉は使われなくなったね…あるのは「専門家」だけ…
このカルロ・ミケルシュテッテル(1887-1910)という詩人は、イタリア未来派と対立した雑誌「ヴォーチェ」に依った詩人だという。その自死後、刊行された評論集の一冊「説得と修辞」からの引用だという。イタリアの詩人もまだまだ知らない人多し。カルヴィーノの論考に反し、時勢はどんどん「重く」なっている…
この「戦争を考える」という論考は湾岸戦争時(1991)に雑誌に発表されたもの。
(2023 09/11)
「永遠のファシズム」
アメリカの学生に向けた講演から。
ナチスの思想(一枚岩の思想)とは異なる、「元祖全体主義」のファシズムの内実。この後、「原ファシズム」(これがこの本の書名ともなっている「永遠のファシズム」))の要素を14取り上げている。これらのうち、いくつか当てはまればファシズム的社会になり得る、という。
(2023 09/12)
「永遠のファシズム」冒頭には、戦中から「解放」までの「利発な少年」だったエーコの回想がある。この辺、「女王ロアーナ、神秘の炎」に、ほぼ同じ年代生まれの主人公を通して書かれている、という。
「新聞について」
…最後の一文。
イタリア上院議員と主要新聞編集長を交えたセミナーでの言葉。自己撞着に陥っている西欧のジャーナリズムより、そこから遠く離れたフィジーの新聞が優れている、とエーコは逆説的に述べる。
「他人が登場するとき」
これはマルティーニ大司教との往復書簡企画から。ここでのエーコの立場は、カトリックの教育を受け、しかしその後他の宗教や無神論の立場を知った、というところから来ている。
そこに他者が登場する。他者の視線が無ければ宗教も倫理も存在し得ない。
「移住、寛容そして堪えがたいもの」
古代ローマで起こった混血が、来るべき千年紀(この文章は1997年発表)に起こる、とエーコは考えている。
この時期、アルバニアから1万2千人もの人々がやってきた。その中の一人でも泥棒や娼婦になった者がいるならば(そういった人も存在する)、アルバニア人全員が泥棒と娼婦ということになってしまう。
プリブケ事件とは、1995年に逃亡先のアルゼンチンから移送されてきた、1944年にローマ近郊の洞窟でユダヤ人75人を含む市民335人を虐殺したナチス将校の一人プリブケの扱いを巡るイタリア国内の動揺。タイトルにある「堪えがたいもの」とは、この場合、虐殺自体を指すのか、それとも誰もその事実を真に受け入れようとしない一般市民の心情を指すのか。
(2023 09/16)
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