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「社会言語学」 ルイ・ジャン・カルヴェ

萩尾生 訳  文庫クセジュ  白水社

「社会言語学」という文庫クセジュの一冊。
ソシュール以来チョムスキーに至る言語学が純粋さを目指しすぎて社会性を無視している、という考えのもとに始まったもので、例えば違う言語の境目辺りでどんな変容が起きているか?とか、ノルウェーとかカタロニアとかルーマニアとかいろいろ…で「国民言語」がどのように形成されたか…などなど。この著者には他にも文庫クセジュで著書があるもよう。
(2011 02/17)

クレオール語

今日は第二章、言語接触の途中「クレオール語」まで。
違う言語がぶつかりあう境界線では、個人でも社会でも様々な状況が観察される。無意識に他言語の単語が入っているなどから、意識的に他言語を使用したり(戦略)、また新たな言語体系を作っていくときもある。
サビール語→ピジン語→クレオール語というのは、商売などの特殊(階級や行為)で使用が限定されるものから、より一般的な言語体系へと移り変わっていく遷移なのだろうか?(そもそもこれらの言葉の名前は、具体的な言語ではない一般的な概念?)。
19世紀まで地中海で話されていたというリングア・フランカ、東アフリカのスワヒリ語、それから英語と中国語の交易言語であるピジン語(「ビジネス」という言葉が変化したという説あり)などなどがこの範疇に入る。言語形成史にも「単一」説と「多元」説があるという。
(2011 03/22)

バーンスタイン・ラボフ・ブルデュー


「社会言語学」の同一(と認識されている)言語内での社会集団に関する言語的差異。大まかに言って

バーンスタイン→ラボフ→ブルデュー
制限コード→独自の文化・言語→言語資本・言語市場

と移り変わっていくという。
制限コードとは「貧しい人々は「正統とされている」言語を獲得する機会を奪われている為、余計に貧しくなる」というもの。
それに対しラボフはハーレムの黒人達の研究で「彼らは独自の言語文化を持っている」と反論。
で、ブルデューは経済学を引用してもっとミクロに社会的行為の一つとして言語行為を認識…といったところかな。言語資本・言語市場という概念は魅力的だけど、じゃ何ですか?と言われると自分の中ではまだまとまっていない。先に挙げた言語行為が実践(プラティークでしたっけ?)とつながるのだろうが。

 言語学の研究対象は、一つの言語ないし複数の言語であるにとどまらず、言語の観点から見た社会共同体までに及ぶ
(p173)


訳者の萩尾生氏は、どうやらスペイン、というかバスクの専門家みたい。この「社会言語学」の訳は主に週末に江戸川図書館の社会人閲覧室で作成したという。最後に江戸川区に着地するとは思わなかった・・・
(2011 03/29)

カルヴェ氏の苦悩


昨夜「社会言語学」カルヴェ著を読み終えた…
言語政策…スペインでは公用語は「カスティーリャ語」(スペイン語ではなく)で、カタルーニャでは公用語はカスティーリャ語とカタルーニャ語。
と紹介した後、この本や以後の本で、カルヴェ氏はなんだか「スペイン語」に同情的ではないか、もっと言えば少数話者言語について語らないことが、ある種の政治姿勢を表しているのではないか、と批判される(訳者もそんな考えみたい)。
そんな批判は、カルヴェ氏自身がもともと少数話者言語の研究で注目されてきたことから、余計にクローズアップされる…
この本の発表は1993年。ちょうどEU統合手前という時期。一方でグローバリゼーションによる英語の浸透、で一方で地域言語の復興または台頭。それに挟まれたフランス語の立場は?とカルヴェ氏は揺らぎつつあるのだろう…と訳者萩尾氏。
(2011 03/30)

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