「ヴァイゼル・ダヴィデク」 パヴェウ・ヒュレ
井上暁子 訳 松籟社 東欧の想像力
ポーランド、グダニスク近郊生まれ。とある少年の事件とその記憶。
生まれもあってかグラスの作品と呼応しているようで、この作品は「猫と鼠」と対応しているという。
彼の他の作品、「メルセデス・ベンツ-フラバルへの手紙」はフラバルの文体の模倣があり、「カストルプ」は「魔の山」のハンス・カストルプがグダンスク工科大学で過ごした半年間の物語…だという。
歴史と物語の交錯
ヴァイゼル・ダヴィデクなる少年(と女友達?)の爆薬による失踪…その後残された子供達への尋問。鷲はポーランドの国章。
(2021 04/25)
ここまで読んできて、今のところ宗教行事やメーデーに距離を置いているダヴィデク自身より、ここの「彼」、生物の先生Mスキの方がとっても気になる。Mスキはメーデー行進に出席しなかったダヴィデクに対し、例の「家庭訪問」をしなかった。それはなぜか。
結構、こういう語りが多く入ってくる、これが、あとがきにある「ノスタルジーがみだりに侵入してくるのを推しとどめようとする側面」なのか。あと、戦争ごっこで(本物の)ドイツ兵のヘルメットとか何かの古びた銃とか出てくるのだけど、第二次世界大戦勃発の地であるグダニスク近郊で、しかも十年少ししか経過していないのに・・・それでもそうした思惑などから子供は自由なのだろう。
(2021 10/11)
今日読んだところは、ダヴィデクが動物園の豹の前に立って豹を後退りさせた話と、その翌日ダヴィデクとエルカについていろいろ散策?した話。その中には有名なグダニスク郵便局(「ブリキの太鼓」でも出てくる第二次世界大戦激戦地)もある。
ダヴィデクに関する過去も、後の書き手の調査含めだんだん明らかになる。ダヴィデクの祖父、仕立て屋でダヴィデクが行方不明になってすぐに亡くなったアブラハムは、ブロディ(リヴォフの近く、現ウクライナ)で生まれたユダヤ人。彼が第二次世界大戦直後、ポーランドに来て(ポーランドの領土西方移動)「ポーランド人」ダヴィデクを自分の孫として届出ている。その書類のダヴィデクにとっての父母の欄は「父」「母」に二重線が引かれて消されている。書き手がダヴィデク達と一緒に回った(元)富豪の家も含めて、歴史と物語が交錯し始めた。
(2021 10/13)
匂いの小説
まだまだ続く校長と軍曹とMスキの尋問。そんな中、軍曹から匂うピクルスの匂いの言及がところどころに入る。
控室にあった真鍮の円盤の壁時計を蝶番にして、語りはマンハイムに住むエルカのところへ行った話に移る(壁時計はほんとに同じものだったのか?)。これまで語り手がマンハイムに送った手紙は全て無視されていた。今回は、エルカは語り手ヘレル(著者ヒュレのアナグラム)の訪問を受け入れたが、ヴァイゼルの謎を問うヘレルに対し、エルカは一枚「上手」だった。
その時も、匂いと香りへの言及は忘れない。
(2021 10/16)
グラスの「猫と鼠」のマールケと同様に、ヴァイゼルも周りの子供達に崇拝されている。そしてある時、姿を消す。
p151から152にかけてのヴァイゼルが機関車の運転手になって墓地の骸骨たちを載せる、という空想物語には、周りで子供が聞いていた、大人の噂話などが半ば無意識的に織り込まれている。
(2021 10/20)
「ヴァイゼル・ダヴィデクとは何者なのか」2つのポイント
ユダヤ人孤児らしいけど、彼が空中浮遊!している時にシメクが感じたように、彼は周りの皆を催眠にかけていたのかもしれない。とすれば、こういう全体的催眠は現代も様々な社会で行われていることでもある。
過去を再構成する2つの時点。ヘレルら3人が学校に残って取り調べを受けている時点と、その後のヘレルがヴァイゼルについての本を書いている現時点。この2つをわざと併置させて見せているわけなのだが、その生み出す効果がまだ自分にはつかめていない。
(2021 10/21)
ヴァイゼルが空中浮遊したりダンスをしてたりするのを見ていた時から、語り手ヘレルたち3人は宣誓までしてヴァイゼルのレンガ工場跡の秘密基地に入ることになった。本を書いている今のヘレルは、そこで本物のピストルやヒトラーの切手を見せてもらったことを、「彼がそういうやり方で自分の本当の活動を偽装していた」のだと思う(p205)。その活動とは何か、見当はつかないし、実際そんなものはないのかもしれない。この小説、中心人物はヴァイゼルなのかと思っていたが、実は3人の少年側の方がそれなのかも知れない。
そんな一人ピョートルに語り手ヘレルは会話を試みる。ピョートルは既に死んでいて、墓場でヴァイゼルに関する会話をしている。
(2021 10/23)
トンネルに消えたヴァイゼル
酒場(ビールしかないので、皆ウォッカをこっそりビールに混ぜる)での飲んだくれ同士のたあいもない喧嘩、その直後なので異様に笑える箇所。
取り調べの時点では、その前にヘレルたちが見た、Mスキのマゾっけぶりをちらつかせて、なんとかMスキの体罰を逃れることができた。
…「ヴァイゼル・ダヴィデク」と銘打っているけど、実はヴァイゼルについての小説ではないのかも。ヴァイゼルに振り回された、語り手ヘレルやMスキなどの物語ではないのか。エルカのミュンヘンの家で偶然見たMスキのテレビインタビュー、それに対するヘレルの反応とか見るとそう思う。
ヴァイゼルは、学校や軍曹たちの取り調べている爆発があった日の次の日、水の溜まったトンネルの入口を炸薬で堰き止めようという流れの中で、エルカとともにトンネルの中へ入っていき(それほど長いトンネルではない)、そしてトンネルから出てこなかった(エルカは後日、記憶を失って発見される)。このトンネルとは、時間の何かの比喩であろうか。
そういえば、この小説の始まりは、夏休みが始まる頃の、干魃と浜辺での魚の大量死だった。何かが閉じられる。次々落ちてくる雨粒は、語り手がつきとめたかった記憶の空白の時期、それらが終わる日常の連続する記憶なのだろう。
最後に、ピョートルの墓の前に立ち、語り手は彼に問いかける。
解説から
謎は謎のまま放置され、いったい「ヴァイゼル・ダヴィデク」(この小説自身)はなんだったのか、という問いの答えに一番近いのがこの文章かもしれない。
(2021 10/24)
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