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もしもの話なのに真面目すぎる十六日目
Day16 あなたの1番大切な人
悲しいことにあまり人を好きになったことがない。ゼロではないし推しはたくさんいるけど、その“好き”とこのお題の“好き”は違う気がする(いや、実際は“大切”なんだけど)
好きとか、大切とか、そういう感覚がどうも人より少ないのかもしれない。テンションが低い。
どこか客観的に自分を見ていて冷静な理性さんが常に見張って抑えているような。
理性が追いつかない、もう本能が暴走してしまうみたいなのに少し興味がある。
ドラマとかでよくある、気づいたら人目も気にせず抱き合ったり、キスをしたりみたいな。
うわっ……考えただけで……恥ずかしくて死にそうになるんですけど。
話が脱線した。
好きは“感情”で、大切はその先にある“行動”じゃないかと思う。
好きは“伝えるもの”で、大切は“与えるもの”じゃないかと思う。
好きさえもよく分からないのに、その先なんてもっと分かんねぇー!
人を大切にするってどういうものなのだろう。
自分を無下、犠牲にしてまで相手を想えるだろうか。多分、無理だ。
無慈悲な愛なんて本当にあるんだろうか。
いや、たまーに天然がいる。言い方はかなり悪いけど誰にでも優しい、相手に奉仕するのが何より好きみないな人いるけど、あれって本気なんだろうか?
見返りも何も本当に求めてないの?頭おかしいぞ。
もちろんその中には偽物もいて計算でやってるのはなんとなく分かる(HSP能力?)
でも本当にこいつマジもんじゃんだと思うやつもいる。
正直こっちの方が私にとって怖い存在である。
まったくもって理解できないから(長所だとは思うけど……)
とまぁ、御託を並べるのはここまでにして。
もう少し真剣に考えてみると、
やはり母だろうか。
それしかいねぇんだよな。
まともに好印象なことをいえるのは。
当たり前だけど他人ではないし、私は壊れた人間だけど愛を感じ取れた唯一の人だしなぁ。
でも家族も不思議だ。
たまたまそこに生まれて生活してるだけなのに特別な繋がりになるんだから。
たとえ別の家庭で暮らしていたとしてもそれなりに愛される可能性は十分にあるのに。
映画『そして父になる』を観て色々と思うところがある。
もし違う家庭で育ったら、母と出会わなければ他人になっていたのだろうかと。
うん、なるよね絶対。
そんなあやふやな関係で人は、家族は繋がっているのかと思うとなんとも言えない気持ちになる。
例え話にそこまで真面目に応えんでもとも思うけど考えてしまう。
だから母を想う私の気持ちをときどき疑ってしまう。ただ雰囲気に流されてるだけではないのかと。
我ながらこんな最悪な思考に進んでしまうのには、きっとあの過去の後悔が原因なんだろうな。
あまり思い出したくない
でも忘れちゃいけない
忘れられない
そんな記憶。