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35時間【フライトは時間がたくさんあるので旅行後つぶやき】

ニューヨーク滞在中は書き溜めてばかりで
なかなか投稿していなくて、実はもう旅行は終了。

また来てね!と言ってもらうたびに、
フライトにかかる時間を考えてしまう。
オーストラリアからNY、都市や日によるけど、
今回は、往路32時間、復路35時間。
航空券代も、往復で日本の1ヶ月の給料分くらい。
時差ボケや長期休暇取得を考えると、
しょっちゅう何度もできることではない。
次は、いつ来られるだろうか。

ニューヨークの滞在を終えて、
いま、またオーストラリアに戻っている。
なんというか、ホッとしている。

オーストラリアビザが降りるんだろうか、
と、ハラハラした時期があったからというのもある。
久々の大都会ニューヨークに来てみて、
「ああ、2年間住んだオーストラリアが、
もう自分のホームのように感じられていたんだな」
と感じる瞬間がたくさんあった。
そして、ニューヨークを愛しきれなかったことが、
ちょっぴり心残り。

数日前、母と長電話をした。
母はわたしの良き話し相手。
自慢じゃないけど、かなり仲がいい親子だと思う。
母は賢い人で、わたしの話を否定することなく、
はいはい、と聞いているだけのように見えて、
理解して要約して返してくれる。
考えが整頓されていくので、いつも発見がある。

ニューヨークではこんなふうに人に助けられている、
こんなことが新鮮、今日行ってみたところ、
オーストラリアをまた海外から見て感じること…

そんな中の、1トピックス。
わたしの兄はとても集中力が高く、受験生の頃は、
食事中も右手で勉強、左手で食事をとっていた。
睡眠時間も短く、休憩を取ることはほぼなく、
トイレに立つと、常に動かしている右手が震えていた。
わたしの自己評価がやや厳しいのは、
兄のせいだと思っている。あんなに頑張れない。

それでも、母と数人の恩師は、
わたしが社会人になるまでの期間、
70%しか頑張れなかったと思う時も、
95%頑張れた時も、たくさん褒めてくれた。

そして、そのあと社会人になって。
褒められるために働いていたのかと聞かれると
恥ずかしくなるけど、そういう部分はあると思う。
誰に褒められることもなくても、
自分自身の目標設定ができて、
ひたむきになることができれば良かったのだろうけど。

社会人になってからというもの、どれだけ頑張っても
一言の褒め言葉も昇給もなく、
「こんなんじゃダメだ、もっと頑張れ」
と言われていた気がする。

70%はもちろんダメ、90%頑張ってもダメで、
120%頑張っても、予算の大きな仕事をこなしても、
周りからの声や視界が変わることがなかった。
こう言ってはなんだが、逆に全然仕事ができない人も、
サボり倒しの人も、尊敬できない態度の上司も、
咎められることもなく平然と過ごしている。
当時、自分が正しいと思う感覚だけを信じて、
仕事をこなしていくことに限界が来ていた。

いろんなことに心が折れかけていた時に、
要素が重なって、わたしはオーストラリアに来た。
何も分からない(そもそも言葉が分からない)状況で、
パートタイムでもボランティアでも、
自分にできる限りのことを必死にしてみたら、
きちんと信頼してくれたり、評価してくれたり、
時には報酬をくれたりした。

母に、伝えた。社会人になって何年間も忘れていた、
昔母がしてくれたように、頑張った分、心を通わせて、
わたしという人間を評価してくれる環境が
ここにあって、それが幸せでたまらない。
日本にそういう場所がないとは言わない。
きっとある。でも、わたしは見つけられなかった。

ただ、いま、オーストラリアとニューヨークでも、
運良く努力を買ってくれる人がいる。
だから、いままだ日本に戻る気になれないでいる。
母と話しながら、自然に涙が出た。
いま、なんて幸せなんだろうと思った。
もちろん、どうやっていきていくのか、
先のこともたまには考えないといけない。
でも、なにも、いつかの未来の不確実な幸せのために、
今を犠牲にする必要はなくて、
たった目の前にある自分の幸せを噛み締めてる。
選択肢はいろいろある。ゆっくり考えよう。

自分探し、という言葉はピンと来ないんだけど、
東京に住んでいた頃の自分は、自分にとっての幸せが
いつまで経ってもピンボケだったことなら分かる。
ちゃんと自分が幸福に感じられるところに
ピンを打っていけるんだとしたら、
あの人生を継続しなくて良かったって思える。

120%頑張ってもこんなんじゃダメだ、
と言われていた頃のわたしが、
これを読んだらどう思うんだろう。

甘ったれた30歳?
楽天的?
どう思ってもらっても構わないぞ。笑

もうすぐ、トランジットのロサンゼルス。

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