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67第七章 応接間 2-侵入者の思惑

「久しぶりだね、叔父さん」
 ぴたり。男はしきりに動かしていた腕を止めた。そのまま首を回し、肩越しに尚哉を見る。父親とそっくりな顔。しかし所々、違う。尚人の息子である自分だからこそ、分かる。
「驚いた。尚哉君か」
 若月の言ったことは正しかったようだ。叔父が…あの、真面目を絵に描いたような貴明が清河を殺し、今は目の前で、死体を弄んでいる。尚哉は驚きを隠せなかった。
 叔父は手に持っていた細い…鋸だろうか。それをテーブルの上に置く。そうして、尚哉のいる方に体を向けた。そこでようやく、彼の向こう側を視界にとらえることができた。
 床に、一人の少女が寝かされていた。いや、もはやそれは少女なのかどうか。横向きにされた体は、既に顔の半分まで刃が入ったのか、手前側に切り離された顔の肉が垂れ、めくれあがっている。傷口からは血が流れ、床と密着する顔の側面、血溜まりを作っていた。

 少女が、瑛子なのだろう。

「どうして、こんなところに」
「それはこっちの台詞だ。君は何故、ここにいる?」
 血塗れになった貴明は凍りそうな程に表情無く、尚哉を見た。気圧されそうになるも、尚哉は心で踏ん張りつつ、彼を睨めつける。
「俺はここに、そう。招待されたんだよ。あの、真琴さんに」
 尚哉は咄嗟に嘘をつく。今ここで、部屋の外に真琴と冬子がいることは、一旦は伏せた方が良いと感じた。一触即発の事態を回避できる策を考える時間が欲しかったこともそうだが、一度貴明と話がしたかったのもある。
「その真琴君は?」
「あ、その。俺もまだ会えてなくて。まだここに来たばかりなんだ」
「ふうん。しかし、そうか。君も呼ばれたのか」
「君も?叔父さんも?」
 彼は真琴に呼ばれ、ここにいる?いや、自分と同じく、嘘をついている可能性はある。
「理由は知らないが。実際に呼ばれたのは、兄貴だったらしいし。…いや、対外的には私なのか。まあ、どちらでも良いんだけど」
「一体それって。叔父さんは、何を言って…」
 貴明はかぶりを振る。それきり。応えるつもりは無いという、意思表示だった。
「とにかく。私も君と同じ立場という訳。彼にも会えていないよ」
「…それは?」
「ん?」尚哉が指差す方向、少女の遺体をちらりと見て、ああと貴明は頷く。
「見てのとおり、死体だよ。人間の」
 あっさりと応える貴明に、尚哉は思わず唾を飲み込む。そんな甥のことなどつゆ知らず、貴明は溜息をつく。
「私も、こんなことはしたくなかった。本当は、兄貴がこれをするはずだったんだ」
「兄…父さんが?」
「そうそうそうそう。君のお父さん、酷い奴なんだ」
 知っていた?と首を傾げる貴明に何も返せないでいるも、貴明は気にもせずに続けた。
「今日…いやもう昨日になったか。兄貴は、私を殺そうとしてきた」
「父さんが、叔父さんを…?」
 理解が追いつかない尚哉をそのままに、貴明はふふふと不気味に笑う。
「兄貴の奴、私が目を逸らした一瞬の隙に、私のコーヒーに毒を盛ったんだ。でもまさか、私が先に兄貴のコーヒーに毒を入れていたなんて、思わなかったんだろう」
「まさか、そんな」
「私も同じように、兄貴を殺すつもりだったんだよ。兄貴が俺を殺そうと画策しているのは、最近の様子から分かっていたからな」ふふふと貴明は笑い声を上げた。「乾杯って。あいつ、即座に飲んだよ。はは、自分が先に飲んで、俺も飲むように誘導したかったんだろうが。ざまあみろだ!馬鹿は馬鹿らしく、俺に使われていれば良かったんだ。殺そうとするなんて、まさに飼い犬に手を噛まれた気分だ。俺の方が一枚上手。昔から、そうだろうが。敵いもしないくせに、馬鹿なくせに牙を剥きやがって」
 一人称の変化と言葉の変わりように、尚哉は口をつぐむ。昔の記憶。尚哉の中で、彼は冷静沈着で寡黙な人間だった。それがどうだ、今は見る影もない。
 荒げた呼吸を整えつつ、「いや、いや」と貴明は一人首を振る。
「いや、違う違う。はは。その後のことを考えると、俺も結局、馬鹿の一人なんだろうよ」
「…その後?」
「兄貴の奴、俺を殺した後のことも話していたんだよ。それを聞いた時点で、俺は兄貴が毒入りコーヒーを飲むのを止めるべきだった。ああ、ああ、くそ。兄貴の野郎、柏宮を殺して顔を剥いで、持ってきてやがったんだ。俺が兄貴の代わりに、この家の連中を皆殺しにしなくちゃならなくなった。皆殺しにして、それを自分の娘のせいにしないといけなくなっちまった」
 尚哉は愕然とした。自分の父親が、柏宮を殺し、顔を剥いだ?
 信じられなかった。佐伯と棚橋、前二人殺害の実行犯は、真琴と冬子だった。その模倣犯として柏宮を殺したのは、目の前の貴明ではなく、尚人の仕業。何度も頭の中で反芻し、脳に刻み込まれる。
「ただ、俺も兄貴の死を、この家の奴らのせいにできそうだから、それはそれで良い結果になった。そうそう、結果良ければ全て良しってことだよ。何か違うか?まあ、それはさておき」そこで、貴明は尚哉を見た。それまでの白熱具合から一転、突然の笑顔。ぞくっとするような寒気を感じた。「尚哉君も真琴君に呼ばれたのなら、どうだ。二人で彼を探さないか」
 尚哉は、こめかみあたりにじんわりと汗が滲み出るのを感じた。ここで一緒になって真琴を探したとしても、貴明は自分を殺すつもりに違いなかった。先程己の犯した罪について、彼は警察官の尚哉に暴露したも同然なのだ。
 真琴を殺す。たとえ今の彼が掲げている目的がそれであれ、彼にとって恐らく想定外の人物である尚哉を葬る上手いやり方についても、思考を巡らせているに違いない。
 何か、打開策は無いか。フル回転させた尚哉の脳細胞は、そこで一つの策を示した。
「真琴さんなら、そこにいる」
「は?」
「ここの入り口の扉の裏あたり。様子見のために、俺は先に入ったんだ」

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