「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン著)を読む
先月、noteで久露見庵さんが「本の紹介」として「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン著)をとり上げられていた。
「読んだことはまだない・・・はずだけれど、初めまして、でもない感じがする。」と久露見庵さんの引き込まれる文章を拝読しながら、思う。
その後、なつめぐさんのnote記事で久露見庵さんの上記記事が取り上げられているのを、さらに拝見。
なつめぐさんの文章、読んでいて癒されます(^^)
久露見庵さんとなつめぐさんのお二人に推されている本。これはぜひ読みたい、と注文。(「沈黙の春」もまだ読んだことがなかったので、一緒に注文。)
届いて、昨晩、早速読んでみた。「センス・オブ・ワンダー」は約60ページ、30~40分程で通読。
一人の地球人として、また一人の親として、共感しながら、美しい文章を味わう。
「学び、教育は、こうあってほしい。」と共感した一節を、ひく。
「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身に付きます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
また、この一節も、さらりと書かれているけれど、大事なことだと思った。
寝る時間がおそくなるからとか、服がぬれて着替えをしなければならないからとか、じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、ふつうの親たちが子どもから取りあげてしまう楽しみを、わたしたち家族はみなロジャー(※レイチェルの姪の息子)にゆるしていましたし、ともに分かち合っていました。
この文章を読んで、子どもたちが幼稚園生だった時代が、ふっと蘇える。
我が家の二人の子どもたち。
幼稚園帰りに近くの公園でほぼ毎日、遊んだ。遊びながら、二人とも、よく靴を脱ぎ、靴下も脱いで、はだしになって遊んだ。下の娘にいたっては、「このままはしってかえる!」と言い、公園から家までの十数分の道のりを、毎日のように、はだしで走ったものだった。
私も初めのうちこそ、子どもが靴を脱ぎだすことに驚いて、「よごれるからやめて~!」と言ったりもしたけれど。
やめてと言われて、やめる子どもたちでもなく笑。「ま、家に帰ったら、洗えばいいか・・・。」と割り切り、好きなようにさせることにした。家に着いたら、玄関から風呂場まで抱きかかえていって、足を洗うのが日課だった。ちょっと大変だったけれど、今となっては、懐かしい思い出(^^)
そして、茶道でいうところの「一期一会」に通じると感じた一節が、こちら。
わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし、目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。
「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。
そして、日々、外を歩いたり走ったりしながら感じることに、通じる一節も。
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
美しい文章と写真に癒されて、あとがきを読んだら、翻訳に協力されたと紹介されている上遠岳彦さんが、出身大学にゆかりのある方であった。
写真家の森本二太郎さんも、同窓の先輩であることを知る。
そして本の発行年をみると、自分が大学生になった、まさにその年であった。なにか、ご縁を感じるのであった。
久露見庵さん、なつめぐさん、
すてきな本のご紹介を、ありがとうございました!ご縁に感謝します✨
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