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「もう少し頑張らないと…」と言われたこと
定期的に来る「会社辞めたい病」が、また来ている。
もはやこれが、私のデフォルトなのかもしれないが。
先日、偏頭痛の治療で通う頭痛外来の先生に、「もし自分の子どもが、今のあなたの状態になったとしたら、親としてなんて声かける?」と聞かれた。
私は考える間もなく、「もう辞めていいよ。何も考えずに、しばらくゆっくりすればいいよ」と、言ってあげるだろうなぁと思ってしまった。
頭痛外来の先生いわく、私が自分に厳しすぎるのが、頭痛の原因なのかもと分析したのだ。
その先生はいつも、ややカウンセリングっぽい診察をする。
その言葉が、結構心に残っていて…。
最近気に入って観ている、NHKの夜ドラ「バニラな毎日」の主人公にも、つい自分を重ねてしまう。
私はあそこまで真面目ではないし、結構サボり癖もあるのだけれど、「〇〇しなきゃだめだ」とか「ねばならない」「〜すべき」が、自分の中で多いタイプだと思う。
それには薄々気がついていた。
それを頭痛外来の先生に改めて気づかされた。
核心をつかれたような気がした。
私、休みたいんだろうなぁ。
でも、もう本当にここ数年、結局ずーっと同じ結論に至るのだけれど、生活の安定のため、自分を犠牲にして働いている。
自分の声を聞かないようにしている。
生きていくためには、当たり前なのかもしれないが。
先日も、会社内の親しい友人に「もうそろそろ限界かも」「本気で辞めたい」と、愚痴っていた。
そんなこと、今まで何回もあったけれど。
また別の友人にも、同じことを言っていたら、「辞めてどうするの? 次のあては、あるの?」と言われたので、「あてはないけど、なんか疲れちゃって」と言ったら、
「もう少し頑張らないと」
と、言われた。
私にとって、ものすごく重い一言だった。
その後、「このままだと、毎日やる事が多すぎて、荷重負担だ」とか「もう電車通勤が嫌すぎる」とか、いろいろ言ったけれど、もはや何を言ってもつらかった。
いろいろなことを話していた友人だったし、電車が苦手で、いろいろ苦労していることを共有していたつもりだったけれど、伝わってなかったのかな。今、欲しい言葉はそれじゃなかったのにな。
やはり社会人として、二人の子を育てる親としては、「もう少し頑張らないと」いけないのだろう。それが正論だ。おっしゃる通りだ。
そんなこと、わかっているし、だからずっと真剣に悩んでいるし、同じ所を足踏みし続けている。
あらゆる薬を飲んだりしてるのに、休みの日の元気さには、全く敵わないのだから、体調を考えたら、休むべきなのだろう。
そんなこと、わかっている。
だから、こんなにもがいているのになぁ。
ま、仕方ない。
その友人も悪気はないのだ。
わが家の生活を慮って、そう言ったのだから。
私にとって、「頑張る」は、「我慢する」だ。
だから、「あー、まだ私は、我慢し続けないといけないんだ」と思ってしまった。
本来「頑張る」の定義は「我慢する」ではないのかもしれない。
でも、小さいときから「あなたは、もっと頑張らないとダメでしょ。隣りの〇〇ちゃんは、もっと頑張ってるんだから」とさんざん親に言われてきて、自分のやりたいことを我慢して、目の前のことを頑張ってきた。
それが今、ものすごく嫌だったんだなぁと気づき始めている。
それが、今回も引っかかったのだと思う。
そして、今回の気づきは、「頑張って」と、人に言うときは、「もっと我慢して」と、相手に受け取られることがあると、考えなければいけないということだ。
私はもう「頑張って!」とか、「もっと頑張れ!」は、絶対に人に言わないようにしようと思った。
「もっと」とか「もう少し」が前置きされると、「今のあなたは頑張ってないよね」「頑張ることから逃げてるよね」と、前置きしているかのように響くと気づいた。
う…、マイナス思考全開だな、自分!