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他人と比べるという洗脳

アイキャッチは2年前の私、自宅で懸垂が出来るようになって、喜び勇み大きな公園まで出向き、鉄棒で懸垂をするも上がらないという図。

同じ40代の人間よりも、強くたくましく、メンタルは不安定でも、筋力だけは、、、なんて思いながら自宅でトレーニングをしていました。

人はなぜ比べるのか

海外ではここまで他人と比較する事も少ないが、とかく日本人は他との比較をする事が多い。

それは幼少期から、社会に出てからも続く。

そして少なからず、一定の割合でその比較に苦しみ、病んでいく人が居る。

へその緒を切った瞬間から

「お〜花子ちゃん!パパにそっくりでお目々が大きいね」

「まぁ〜太郎くん!ママに似て肌が綺麗だね〜」

「3300gで生まれたの?大きいね」

「髪の毛が伸びるのが遅いわねぇ」

お気づきでしょうけど、私たちは生まれた瞬間から、既成概念や他人と比較される事で、分析される運命なのです。

それは終わる事が無い

親戚の子や知り合いの子と比較され続け、立つのが早いだの、歩くのが遅いだの、オムツが取れないだの、まだオッパイ吸ってるだの、、、etc。

幼少期で終わるかと思いきや、入園すれば比較対象の母数が増えるだけ。
ましてやママたちもパパたちも比較の対象に入ります。

「まゆちゃんのママ若くて綺麗だなぁ〜」

「ゆうきくんパパ見た目より老けてますね」

とかね。

まだまだ続く比較という社会構図

小学校、中学校、高校と、全てに置いてクラスメイトという他人と比較され、点数や学力で差別化され、競わされ強く出る個性は潰されていく。

最近は、ちょっとはみ出るだけでADHDとレッテル貼りされるらしいですね。恐ろしい話です。

子どもたちや学生たちも自我が目覚めて、自分自身を人と比較し始めます。
思春期と言われる、多感な時期になるにつれて、それはエスカレートしていきます。

私は小学校の時、例の毛が極薄だったので、修学旅行の1ヶ月くらい前から爺ちゃんの使ってた”紫電改”っていう育毛剤をずっと着けてました。

濃くなる事はミリもありませんでした。これも人と比較してって話です。

社会に出ると加速する比較

それまでは、比べるステイタスがまだ少なくて良かった。

社会に出ると、職業・車・洋服・パートナーの有無・財産等々、、、。キリがありません。

そして人々は、さらに比較して自分のステイタスの低さに恐怖し、無理をして必要の無い高級車を買ったり、メジャーなスマホを買い、少し高めのブランドの服をセールで買い、見切り発車で結婚し、収入に似合わない住宅ローンを組み、ギリギリの中子供が生まれて、また比較が始まる。

気づかぬうちに洗脳されてきた”比較”という諸悪の根源

私達は生まれてから、今も尚”比較”という社会の中で生活しています。

そして、それに気づかずに「承認欲求」だとか、「物欲」だとか、”人間の欲”という言葉に置き換えられています。

あなたがこの世界に1人だとして、あなたの生活やステイタスが、何よりもオリジナルで、オンリーワンだとしたら、あなたは何かを求めますか?
ベンツが欲しいですか?バーキンが欲しいですか?プール付のマンションが欲しいですか?

全ては他人と比較されてきて、そのままその洗脳に毒された思考によるものだと、私は最近考えるようになりました。

現代に必要なのは”比較”でなく”尊重”

皆違って皆良い!と言う言葉がありますが、これすら間違ってると思います。

違って良いじゃなくて「皆良い!ただイイ!!」です。”違う”なんて概念すら不要です。

それぞれが個性を尊重しあい、適材適所で活躍して、目立ちたがりはエンタメすれば良いし、引きこもりは作品作りに没頭すれば良いし。

世の中を良く見てみてください。
そんな感じに動いてると思いませんか?

昔からひょうきんでクラスの問題児が、芸能界やYoutubeで活躍してたり、昔から根暗でオタク要素だった子が、小さなITでアプリ開発してたり。

結構そのまま育ってるんだと思うんです。

でも成長過程や、社会に出てからも他人と比較するだけで、苦しんだりいじめが起きたり。

もっと小さなころから、お互いを尊重しあって人間が活動出来れば、ADHDの子も、うつ病になる子も、不登校も、いじめで苦しむ子も減るとしか思えないんです。

個性という最大のツールを比較で潰すな

多くの皆さんは、周囲とある一定の部分を合わせようとします。
つまり個性を殺してます。

プライベートに個性を集約させて、ON/OFFしながら生きてます。

もっと自由に、もっと個性的に好きな服を着て、好きな車に乗って「自分はこれが良いんだ!」って言える世の中になれば、比較する事を辞めれば、たくさんの社会問題はグっと減るような気がしてなりません。

そして私は朝からベンツが欲しいとパートナーと会話するのでした。
比較するのでなく、個性としてです。

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