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【読書記録】ひこばえ/重松清

 何か本が読みたいな、と思い本棚から手に取ったのがこの本でした。読むのは2回目ですが、繰り返し読んでも味わい深く、また時間が経ったら読みたくなるだろうなと感じる大切な本です。

「ひこばえ」とは、
木の切り株から
若い芽が生えてくること。
たとえ幹が倒れても、孫のような芽が
生えるように、命は、
親から子どもを経て、
孫の代へと続く。
……………………………..
世間が万博に湧きかえる1970年、洋一郎が小学2年生の時に家を出て行った父親の記憶は淡い。郊外の小さな街で一人暮らしを続けた末に亡くなった父親は、生前に1冊だけの「自分史」をのこそうとしていた。なぜ?誰に向けて?洋一郎は、父親の人生に向き合うことを決意したのだが・・・。

重松清「ひこばえ」 (書籍の帯より)

 上下巻ある長編ですが、数日で一気に読了。
 先の読めない展開にハラハラドキドキしながら一気に読む、というのとは少し違います。ストーリーは丁寧に穏やかに進んでいくのですが、気付いたら完全に主人公に感情移入し、物語の中に入りこんでいました。重松清さんは本当に「おじさん」の描写が素晴らしいと思います。こんなに丁寧にリアルに哀愁のあるおじさんを描く作家さんはいないのでは。

 主人公の境遇が、自分の父とあまりにも似ていたので、ストーリーから父のこれまでの体験を想像し胸が苦しくなるところもありました。
 幼い頃に父親が出て行ってしまったこと。ずっと会っていないのに何十年ぶりに亡くなったという知らせが来たこと。そこまでは全く父と同じなのです。この本を読んで、私にも祖父がいたんだということを初めて実感した気がします。私の両親はともに母子家庭で育ちました。そのため、私にとって「おばあちゃん」の横には誰もいないのが当然で、「おじいちゃん」という存在にこれまで思いを馳せたことがありませんでした。
 でも、祖父がいたから今の私がいる。私は祖父の「ひこばえ」だったんだなぁと感慨深くなっています。主人公の息子の航太のように祖父に感情移入できるほどのエピソードは私にはないけれど、ひこばえのように芽吹いて、つながっている命なんだなと。

 様々な家族のかたち、親子のかたち、そして老いていくこと。散りばめられた様々なエピソードにとても考えさせられました。特に主人公の勤務する老人ホームの入居者「後藤さん」とその息子さんのエピソードはこの物語のキーになっています。主人公が後藤さんに自分の父親を重ね合わせ、後藤さんのために行動を起こしていく姿が本当に格好良いです。

 重松清さんの小説が好きな父は、この本を読んだのだろうか。気になるけれど、少し怖くて、今まで何となく聞くことができていませんでした。いつか聞くことができたらいいなと思っています。

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