震災8年半後に巡る宮城ひとり旅【心に残る言葉】
「俺・・・震災遺構には、行けないです。」
気仙沼ゲストハウス架け橋で、語り部をしてくれたSくんはそういった。私は翌日、震災遺構の伝承館に行く予定だった。彼は今25歳。高校2年生で被災した彼は、語り部をもう既に1000回はやっていると教えてくれた。
私は勝手に、語り部ができるってことは、ある程度乗り越えた人なんだろうと思っていた。彼は震災後にPTSDを発症し、1年半かけて治したそうだ。話せるけど、被災物は見れない。こういう人もいることを、私は今まで気が付かなかった。
「私の義理の娘は、津波に流されている家の中にいた。泥だらけで、家に帰ってくるのに3日かかったよ。彼女はそれ以来水が怖くなってしまってね。水道の水は大丈夫だけど、温泉とか水が溜まっている場所は怖がって行きたがらないよ。女川に住んでいながら海が怖くて見れないなんて、こんなに辛いことはないね。」
これは石巻の方が教えてくれたお話。
語り部の方の話を聞くには、最初ツアー旅行くらいしか探せなかったけれど、ゲストハウス架け橋で語り部があることを知り、即決!
一泊3500円+語り部2000円=5500円
聞いたら悪い、なんてことなかった。聞かなきゃ、わからないことばかり。
知らなかった、で終わらせられないことばかり。
忘れられない夜を過ごした。